日記

2024-03-16 03:53:00

パイオニア

ある映画を見ながら、鴎亭先生を思う

有史以前から祈りと共にあった書が、王羲之にによって芸術の域に達し、祈りと芸術の両輪で進化してきました

奈良時代に漢字が伝えられ、そして平安時代に我が国独自の仮名文字に発展させ。漢詩と和歌を表現する書道として芸術性をまし確固たる地位を築いていきました。

明治になり散文詩が作られるようになり。それを表現する書の必要性と、現代人にも読める書をと提唱され研究発展されてこられたのが、今にある近代詩文書という書の分野てす。

革新と創意という理念のもと、鴎亭先生はじめその時代の書家が伝統を継承しながらも近代の新しい書をと活動され新分野が生まれていきました。それは様々な事があったとお聞きしています。革新的な先生のなかにも日展との考えの違いから脱退されたり、鴎亭先生も何かの本で書道会きってのお人好しと書かれておられ。並み大抵のあゆみではなかったことが推察されます。

若かりし頃、漢字の会派にいた私は、その現代的で訴えるような鴎亭先生門下の方々の書を憧れを感じながら見たおほえがあり、近代詩文書も沢山にトライして作っていました

鴎亭先生が、全国行脚され広められた近代詩文書は石飛博光先生はじめ愛弟子の先生方、さらには全国の沢山の先生方に受け継がれ、さらにさらにと発展を遂げ、今や日本を代表する書となり。あと数年で世界文化遺産にも登録されるかというものとなりました。

実力相当の評価にあたらなかったであろう鴎亭先生が、晩年に文化勲章を受賞されたことは御本人もとより共に歩み、支えてこられた回りの方々が、どれ程にお喜びであっただろうと。

そして今、石飛先生の超大作作品、若い学生たちの感性で音楽と調和した書道パフォーマンス。その後も書は進化を続けて革新を。

そんな鴎亭先生の愛弟子の石飛先生にお教え頂いていることに、この上ないありがたいことであると心から感謝の念がおこって。そしてさらにさらに自分自身の表現をと、一歩先へと精進したいと心から思う