日記
古典研究会
二日間の古典研究会無事終了しました
懐素の自叙帖。こちらは昔取った杵柄で、筆が楽しく良く動きお褒めいただきました。
顔真卿の顔氏家廟婢。どちらかというと苦手なものでした。が、その人物歴史を知るにつけその文字の奥深さ筆法の素晴らしさもですがその文字に宿っているものが心に染み入るようになり、大好きな文字となりました。
まだまだ形臨の域は出ませんが、意臨というものがほんの少し感じられた思いがいたしました。
今回の加藤先生の講演の意図とされるところであったのかもとの思いも。
顔氏家廟婢は今年の課題のメインの研究課題。最後の品評会で、半切作品が張り出され講評されます。
先生方から筆法もお褒めいただき、構成については私が不味いなと思っていたことをご指摘され、これもまた嬉し。書友からもお褒めいただき苦手なものだっただけにとても嬉しくなり、そう、石飛先生の半切作品と同じ文選でこれも嬉しく感動して。
さらに磨きをかけてと思わせていただきました。
誰もがいつかは出てみたいと思っている古典研究会。
文にできないほどの学びを頂いた二日間でした
来年の課題も日取りも発表され、一年間しっかり研究鍛練してくださいとのこと。まさしくこの一言につきると。精進いたします。
同窓会展
書く
さぁ、
無心に書こう
大丈夫!
今日裏打ちにもっていかなアカンのに
ほんま大丈夫かぁ?
枠
東京お稽古から帰宅
どれもこれも集中力が足りず、とんでもない作品。自覚あり。
皆の前でさらけると、自分でも?と思うような。
私が思うのだから誰もが思ってるだろうな
でも必死で書いた作品
お稽古終わりに書けない
と呟くと
きっと変わり目なんでしょうね。もがいてるのがわかる、と
そう。自由にのびのび書いていたものが、先生方からの様々なご指摘になるほどと納得もし、次の、自分のスタイルを求められるもし、求めもし。
なんだろう
そこに山があるから
まさにその心境?
賞があるがために、世間には切磋琢磨してるように思われてるかもしれないけれど、ほとんどの人が、
そこに山があるから
だと思う
そういうものなのです
書とは
どんな山に行きつくか
もがくしかなしか
作品
尊い身体のなかから涌き出てくる
清らかで輝きを持ったもの
そんな大切なものを
汚してはいけないのです
無性にそう思う