日記
ミロ
他会派の展覧会をみて、
その後ミロ展を
ミロは圧巻。
好きな絵画だったけれどより深く感じ入る。やはり実際に本物に触れないと本当の感動は起こらない。ポスターやポストカードでお馴染みだったけれど、やはり実際に見るのは全く違って。ミロの生涯も知り、人となりを感じた後の、その肉筆の作品は迫るものがあり。これがミロなのだと。
ヨーロッパ近代美術は日本の影響を受けているというのは、有名すぎる周知のことだけれど。
ミロもしかり。
先日六本木のミッドタウンでエミール・ガレ展を見たのだけれど、やはり日本の影響下にある作品が数多くあり。初期の影響下にある作品と、晩年の作品を見るに、影響とはこういうことかとも感じられ。
でもミロはまたそれとは違い。
書や禅にも傾倒していたことからも日本のミロの内面への影響をも感じられる。
仙厓和尚の書いた作品を元に書かれたものは、ミロ独特の精神性を表していて。
花火の連作はまさに日本の書とも見える
ミロはトランスに入って書くこともあったと。洋画に書の集中まさにトランスから生まれる一瞬の線の美しさはないと思っていたのだけれど。ミロの絵にはそれがあり。手が呼吸すると言ったミロの言葉が響き、書とまさしく同じものを感じる
90才まで現役を通したミロの晩年の作品を見るに、
ミロのいうところの精神性とはということも問われているような
ミロの言葉にある、3000年たった人がこの絵を見て何を感じるか、と問いかけ、精神の扉を開いたと語ったミロの心のなかは計り知れない
良い展覧会を見させていただけて
沢山の気づきがあり
良い1日
薔薇の雨
古典研究会
二日間の古典研究会無事終了しました
懐素の自叙帖。こちらは昔取った杵柄で、筆が楽しく良く動きお褒めいただきました。
顔真卿の顔氏家廟婢。どちらかというと苦手なものでした。が、その人物歴史を知るにつけその文字の奥深さ筆法の素晴らしさもですがその文字に宿っているものが心に染み入るようになり、大好きな文字となりました。
まだまだ形臨の域は出ませんが、意臨というものがほんの少し感じられた思いがいたしました。
今回の加藤先生の講演の意図とされるところであったのかもとの思いも。
顔氏家廟婢は今年の課題のメインの研究課題。最後の品評会で、半切作品が張り出され講評されます。
先生方から筆法もお褒めいただき、構成については私が不味いなと思っていたことをご指摘され、これもまた嬉し。書友からもお褒めいただき苦手なものだっただけにとても嬉しくなり、そう、石飛先生の半切作品と同じ文選でこれも嬉しく感動して。
さらに磨きをかけてと思わせていただきました。
誰もがいつかは出てみたいと思っている古典研究会。
文にできないほどの学びを頂いた二日間でした
来年の課題も日取りも発表され、一年間しっかり研究鍛練してくださいとのこと。まさしくこの一言につきると。精進いたします。
同窓会展
書く
さぁ、
無心に書こう
大丈夫!
今日裏打ちにもっていかなアカンのに
ほんま大丈夫かぁ?