日記
変化
公開しなかったある日の覚書
自分の中の変化
人為でなく、操作でなく、その時々に起こったこと、偶然、そして
心のそこから込み上げた思い、感覚
それに基づいていると
確認する
変えられていない
変わっている
だから
大丈夫
信
信ということ
心静かに
執着離れてみてみたら
その言葉その行いに
その人その人の信に対する姿が見えてくる
NHKプラス
先生の番組みて。そしたら
次々ドラマが流れて…
朝ドラ特集、宗教、薬膳のドラマが
さすがNHK、民法では流れないドラマだなと思い。またそのテーマに考えさせられ、自分の思いも見えたりもし
沢山の日本の心が語られて。信仰ということを客観的に見、そして食事のこと体のことを考えさせられる
興味をもって一時期勉強もしかけたのだけれど、中国的な薬膳はどうも受け入れられなくて。
旬を大切に自然と共に生きる身土不二ともいう考えに基づく食のあり方、生活が、日本の素晴らしさをまた物語っていることをまた改めて知る
家庭に置いて紡がれてきた祈り、生活がどれ程この日本に豊かに息づいていたか。
薬草の里伊吹山で育まれた日本の自然と一体となった古来よりの生活は、マクロビという学問への繋がりにも見え。
母から繋がれたその自然な食生活が心も体も元気にしてくれる。
まさに食育。
そんな日常にこれまでの教えにあることに深く深く感謝。
違和感
ずっと感じていた感覚
流れを感じながら思ったこと
大きな罪をおかしておられるのではと
ふと今そうよぎる
幻想
インターバルで作品眺めながら
テニスしてるとき
まさしくゾーンと言われることが、ありました。
そこへ行けると何もかもが思いのまま、というか思いのままにされている?言い方がわからないですが。
そんな感覚となり。それが試合中の時もあれば、1本の打球であったり。
自分でもなぜだかわからないことなんです
書でも、時折そんなことが起こり素晴らしい線が引けるときはあるのですが。作品貫通に至らず。
思えば鍛練の度合いも違い、テニスの日々は本当に苦行ともいえる10年であったともいえ。それに比べればまだまだ甘い修行にすぎず。また、私の中でどれだけ重要としているのかと言うことも見せつけられて、至りません。
身体の幻想とは、こういうことを言うのかと。
そう。思わず出た言葉と言うものもあります
必死のなかでだからこそ出る言葉
そんな学びを頂けたこれまでの歩みに感謝して、その感覚を持てることを絶やさずと、日々精進。
心の底のまことの心のままに、身体は動いてくれる
そしてそれが私の本当に大切なものにとなるのだと
どんなものなのでしょう
南無