日記
どん底
どん底が見れるのも
一種の才能かもしれない
夢
ようやく、見せてくれました
素晴らしい大吉と、この先の行く道
大きく変化成長した姿は
共に歩む道大きな幸せへと導かれていく
体調
今、これ程のやることがあっても。体調も崩さず、かえってこなす要領もえて、また精神的な安定も得て。これが経験を積むということかと
そう。更年期といわれる時期に。お人から助けを求められたことが。
そのかたも同じ歳格好で、
その時の息子はちょうど思春期。息子への悩みとそのかたを救いたい気持ちでいっぱいでした。
どこか違和感の感じどうしても踏み込めなかった初期の祈りもそのかたのために一緒に拝ませていただきました。祈りながらみるみる痩せていく。まるで修行僧の様相になっていくそのかたを見て、自分の力のなさをとても情けなく悲しくなりました。
その祈りから解放され、環境も変わられみるみる元気を取り戻され様々なお人にも出合われ、至らぬ私はもう私の前にこやんといて、と言われ。お会いすることをご遠慮いたしました。何もお力になれず致し方ないと、その思いを素直に受け入れました。申し訳なかったです
でも、そのかたとの出会いから心に思っていた事。その事をどうしても申し上げなければとお手紙をしたためその場を去りました
子供を授けていただくご縁のあるかたを大切に。そしてご家族ということの恨みから解放されてほしいと。
今素晴らしい親子の姿を見るにつけ、ご夫婦お二人で父母のつとめをしっかりとつとめてらしたのだなぁと思い。素晴らしく変わられたそのお心は、いやもともとお持ちであった心根が素直にでてらしたのかとも思い、学ぶこと多々。
何もお役に立てなかった申し訳なさに、本当に安堵の思いが致しありがたいです
体調がからだの変わり目で。それで大いに悩んだのかと言われると、全くそうではなく。むしろ反対のような気が致します。
月の痛みは、出産の備えとも言われ。少女の頃から訓練され。そして女性にとって何より一大事な出産を経て。命をかけたその姿経験は何より大きな力となってくれて、夜叉のようにもなりながら子供を育てていけるのです。
血の道といわれるように。まさしく。
その役割を終える最後の変化は。まさにその経験を踏まえありがとうと体からいってもらっているような。
悲しんでいいんだよ。わがまま言っていいんだよ。つかれたらしっかり眠っていいんだよ。
自分のしたいことを置いて、我が子またそのことで学んだ利他の心で歩んできた道へのごほうびのような
正にその人の歩んできた姿の集大成とも思え。だからこそ本当の姿が本当の言葉が表されるような
その時期に、心から人のために尽くせたこと。心から発したことばは。まさしく魂の言葉。 私の本当の姿であったと、そう思います
また、今熟成のときにあってその道のそのさきに至って、また性のエネルギーを越えたものも感じられ
人の道とはとめどもなく深く広く果てないものだとおもわされます
いつか見たまっすぐにのびゆく道。果てなく続く光の道
雲の上に登って行く道
どんな道かはまだわかりませんが
おそらく私如きが思う道などはおぼつかない素晴らしい道だとおもえ
どうか素晴らしいお導きをと
精進して参ります
突然
突然飛び出してきた?4年前のYouTube。
仏教を研究されているお医者様が日本人の宗教性のことを論じられているのだけれど
私の持っていた違和感を見事に理論立ててくれていて…
そうやったんや、と。
そして私の未来の夢はあながち間違ってなかったんだと確信
その為に心とまた現実にも今の様々な変化が来ているとも思え
山、役行者、空海、浄土、書道、そして子どもが生まれたときに手に取ったアドラー
心に宿る大切なことに、全てご縁をたくさんに頂いて
今また、生徒さんも新しく伝統仏教寺の奥さまが来てくださり、なんと個展でふらりとその宗教の最高位の方がお食事のあと覗いてくださり。そんなかたとはつゆ知らず様々とお話に花が咲き盛り上がり。帰りにお名刺もくださって。ご縁をつないでくださりました。
なんとなく感じていた疑問違和感。生きていくためにどこか物足りなさを感じていたこと。
理屈は後からついてきて
やはり、夢で語ってくださった今はなき大切な方から頂いた言葉のおもいに対する私の感情は間違いなかったのだと
この飛び込んできてくれたYouTube
大切なことを教えてくれました
感謝、南無
LINE
昨日は事後処理に皆よってくれ。たのみもしないことまで気を使ってくれて。お教室の床掃除までしてくれて、これでお稽古気持ち良くできるね!とわがことのように喜んでくれて。よくやってくださいます
お稽古も、個展の話も楽しくしながらまた皆さんも学びや気付きもあったのか。生き生きと励んでくれて。楽しいお稽古に
結束もまた強くなったような
そんな中、朝から事務長さんからLINE
以前から懸念していたことですが
ふうーとため息を一つつき
立ち止まることを与えていただきました
これもまた学びと
一つ変われば、また一つと。
これが整えていただいているということなのかもしれません