日記
立ち上げ
教室を立ち上げたときの気持ち
皆が一時無となるときを、
そして心安らぐ場を時をと
苦しい苦しい闇の中の経験をしたことから救ってもらい。皆がそんなことにならないようにとの思いから沸き上がった、そして形となり少しずつ皆の思いのままに作り上げてきた場。
少しだけゆっくりとと、その思いからつけたCOMODOと言うアトリエの名前
そんな思いが一杯の教室も25年と言う時を重ね
華やかな世界も素晴らしい
そして礎となる何よりも日常が日々の暮らしが大切と
日々の勤めがあるからこそ華やかな時が来るのだとそう今身をもって思わせてもらえ
またより一層そんな場へと
自らのまだまだ至らぬ姿を省みてそのさきの姿を思う
息子に覆い被さった日
それから深く傷ついた日々が来て
お人のためにと思えたこと
これもお導きかと
ある震災に従事された方の生き様お考えを知るに
何事も…理屈はあとからついてくる
さらに深く心して進んで参ります
学び
石飛先生と共に歩んでこられたG先生と電話でお話
いつも長電話
ありがたいことです。
様々な展覧会のその作家先生の事のお話も
そして学びについて
その方の学び方によって作品は決定すると
書とはどういうものかと言うことの話にもなって
沢山の気づきと覚え書きが
まさに書は人なり
学ぶということの深淵さを
特に大切なことを気付かせてもらい。
いつもいつもありがとうございます
さすが石飛先生
そしてさすが石飛先生に手塩にかけて育てられた、目に入れても痛くないG先生
新参者なのに、分け隔てなくお付き合いいただき
感謝申します
様々
様々な立場
様々な環境
様々な学び
それぞれの場でそれぞれの教え気づきを頂けて
友の、爆弾おにぎりになるでとの言葉が
思い出される
それを受け入れるだけの大きな器をもたなければなりませんね
至りません
至りません
我とは厄介なものです
天才
テニスも書道も。ピアノ、日舞…。ありがたい沢山の経験をさせてもらいました。
そこそこ器用だったので、そこそここなし。どの先生からもこの道でがんばりませんか?と思春期の頃にお声がけを、いただきました。
やりたいと思ったけれど、一番やめられない条件に?あったのがテニスで。やめささんの言葉もあって。あとは断念。
唯一何とか両立できると思えたのが書道でした。といっても打ち込みかたは1000対1?
本格的なテニスの世界で、いかに凡であるかを思い知らされ。天才のすごさを思い知りました。
自信もなくしゃん太郎といわれた選手は様々な導きと壁にもぶち当たりながらひとつの理想の姿を示せ何とか勤めを果たせました
才能があると溺れるものはそれだけで。天才と思える人は努力も考えも心も全てが違うのです。
テニスを終えて、書に打ち込むようになった今、また違う世界での天才の姿を生きざまを見させてもらえ。
私にも様々な勤めの場をお与えいただき至らぬことも経験しながら、お導きいただけておることを、殊の外幸せなことだと
この今をありがたく、新しい1日1日を一歩一歩勤めてと歩んで参ります
憧れの姿、そしてお導きのその先へと
変化
変化するときには
やはり様々なことに歪みができて
この先の私の師としての立ち位置
導く方向性
様々とギシギシ変わっていきこれでいいのか?と自分自身で自問自答し、悶々としていました
何も言わずと、もつれたひもがするするとほどけるように、前進し。
岐阜へ行ったときに教えてもらったご先祖さんの生きざま。やはりどこか私の中に息づいてくれていたのだと。そう感じる
やはり自分を信じよう
様々な経験
そして良い方々との巡り合い
何よりの素晴らしいことをお与えいただき
夢見たことは確かにと
外にも内にも見えるものは確かと
こんな私でも守ってくださり助けてくださっている
この気持ちいつなんどきもいつまでも忘れず
心からありがたく、さらにさらに努めなければと
心深くそう思う
大切な大切な覚え書き