日記
思い
生意気ですね
大層なことを口にして
叶わなくても
今をかたっておきたかったから
また明日が来て、一歩一歩
どんな夢がかなうのか
桜
桜は日本人にとって神聖なものです
とテレビから外国人旅行者の言葉
まさに。
さくらという言葉は、さの蔵から来ていると。さ は神様のこと。神様が宿るところが桜の木なのです。
花見の起源は、山の神が里の桜を目指して降りてきて田の神となり。その神様をお迎えして五穀豊穣を願いお供えをしたことからとも
そんなことを日本人は思いもせず自然に桜に心を奪われ高揚し。
そんな日本人を外からみた外国人は真意をいいあてるのかと。
ここにも受け継がれた日本人の心の身体の伝統が知らず知らずに表されているような。
見えないもの気づかないものこそ、大切なものと外国の人に教えてもらう
日本
様々と起こることは、ただの偶然だけれど
ただの偶然を己の力となし、先の見えない歩みを怖れず歩んでいく力として。そうして先達たちは歩んできたのだと。しみじみそう思う
お節句もしかり。目に見えぬ恐怖や不安を邪気払いと天に仰ぎ。無病息災を祈り願い。
そうやって日本人は長い長い年月を生きてきて。
そういう日本人は居なくなってきていると懸念する人たちも。
私がおかしいのか?山村の自然豊かな環境で年老いた親の末の子供として生まれ育った母親に、そしてまたそんな祖母に育ててもらったことも大きな要因かもしれないけれど。
一時期の誤った宗教教育は私達世代に大きな傷を負わせたかもしれないけれど。でも宗教の前にある民族信仰のようなものは暮らしのレベルで素直に表現もされていて。真の心はちゃんと一人一人に受け継がれて居ると感じるのです。
こんな私に安心すると、ここに来ると幸せになると集ってくれて、若いママたちはどこか先生と居ると癒されて元気が出ると言ってくれ。それはきっと日本の心が皆のどこかで息づいてくれているからなんだとそう思う。
私などは高々ちょっとばかり日本が大好きなおばさんにしかないのだけれど。
でもそんな心を欲してくれる、大切に思ってくれる人に寄り添い。元気になってもらい。
そしてそんな日本を何とか残そうと悲壮感を抱き活動する人たちの、そんな人たちの力になってどこかで支えていくことができたら、本望と、そう思うのです。
いつかそんなことが、きっと花開いてくれるとそう思うから。
この世界に誇れる日本が、島国だからこそと守ってこれた国の美しさが人としての素晴らしさがいついつまでも繋がるようにと願って、これからの歩みを受け入れて自分の進むこの先を生きていきたいとそう思う
桜
4階のベランダに出たら
一瞬空に沢山の蝶が舞ったようで、よくよくみてみるとなんと桜吹雪。
公園の桜がここまで舞い上がってきてくれて、さらに天に向かって舞い上がり。綺麗
風の、一瞬の出来事だったけど、青空に薄ピンクの花びらが楽しそうに蝶のように舞い上がり、何と幻想的な
転機を向かえ新たな自分が産み出されているような今、勇気を頂き背中を押してもらえ。あまりの美しさが脳裏に焼き付いて。感謝。
第三の目
こころの目
そこから見えたものを心から信じる