日記
邪念
人を疑う
それが普通の事なのかもしれません
神や仏ではないのだから
邪念が全くないなんてことはないから
でもね
本当に感動したとき
本当に人を思うとき
そのときは本当に邪念などなくなってしまうのだと思いました
様々と傷ついたとき
悲しまず怒らず、ああこんなことされたらこんなに嫌な思いをするんやなぁと教えてくれてありがとうと、手を合わせてその人に感謝したらええ。
とそう教えてくれました。
その教えは身体に染み込み、いつしか嫌なことされても仕方がないなと思え、そしたら皆いい人に見えてきました
人は誰でも嫌なとこあるんやから、人の悪いとこ見やんとエエとこ見てお付き合いしたらエエ
良い教えをもらって育ちました
そしたら知らずきれいな人に囲まれて
だから人よりは邪念は少ないように思います
でもね。そんな母が私のする事言うこと聞いて。あんたみたいなこと言うてたら、人の好きなようにされてしまうは。と。そう育てたんお母さんやん。といったら。正直に育てすぎたはと心配し。清濁併せ呑む母やったんやと。今笑いが出ます。
立ち回る術もなく。ただ、思うがままに行動するしかなく。なんとかそれでもあたふたしながらやってきて。少しは素敵な大人にもなれていたら良いのだけれど…
あ、だから反省?していざとなったら高いところからダッシュして助けにきてくれるのかなぁ
人に嫌な思いをさせるなら、自分が傷ついた方がよっぽどいい。とはじめて失恋したときに痩せてガリガリになりながら友達に吐いた言葉。その時私も~といってくれた友の居てくれたありがたさ。今も忘れません。良い環境を与えていただけたこと。何よりありがたいことと。今になってよけい身に染みます
様々な大きな世界を体験して、摩擦も様々。これからの一歩もとんな道へどんな風に進ませてもらうのだろうかと本当はドキドキだけれど。年なのか経験なのかお導きも感じどこか安らかで。素直さ故の物足りなさや不安感も反省しながら
がんばりますね
そう一つ一つ粛々と
大きな夢を抱いて
前
さぁ
粛々と
目の前のことを一つ一つ
歴史
当たり前に学んできた古代の歴史や文学。万葉集の和歌や民俗学としてとらえてきたこと。神社仏閣の儀式、起源や神話。
そんな日本人としての心の本流?とも言えるもの
そして天皇様の本来のお姿も表には出されず
そんな日本の大切に繋いでこられたものは今の時代はもうオカルトの範疇に入ってしまうのでしょうか?
素直にそうそうと当たり前に耳を傾ける私は変人?
でもね、そんなお話をわくわくと心に染みますと言ってくれる若いお母様もいて。
この間も若いご住職が命のテーマの万博が物理科学ばかりで、仏教的な事が反映されなくて少し残念ですと、おっしゃっていて。
思わず頑張ってください!と言ってしまいました
草の根しかならないけれど…
私もがんばりますね
師
ある時の覚書
今は
メンターと言うのでしょうか?
そうであれば
本当に良い沢山のお育ていただけるありがたいご縁をいただいてきました
万物全ては師である
その言葉もまたしかり
価値観がすっかり変わっていき
でもそれだからこそ、人としての芯はしっかりたもたねばならぬとそう思え
ある時、全ては変わりゆくものですか?とご老僧に質問をした時に 答えていただいたお釈迦様の本当に理想として追求されていたという,ものが、おもいうかぶ