日記
芯
子供のころ、何になりたい?
と決まりごとのように聞かれ。
当たり前のようにその場でそのときの思いを語ってきました。
近所の子供たちを預かったり面倒見たりしていたからかそのときは幼稚園の先生、そしてビアノの先生。
テニスに芸事に日々を打ち込みながら、将来の夢は?と聞かれることも少なくなり。その延長線上のお決まりのようにミヅノに勤め。
その都度良い経験を積ませていただいて。
結婚ということで生活は一変、全く変わっていって。でもそのわくのなかで本当の心の中の自分が想いがあゆみだしていったのかも知れません。様々な出来事が出会いが本当の自分へ一歩一歩と歩ませてくれて。
子供の頃から見えなかったけれど自然に選んできたものは年輪のように自分の中に重ねられていき、今まさに自分を作り上げている根幹となっていて。運命さえも左右するような力を持ち導いてくれる。
その芯に支えられながら歩み様々に経験させてもらったことは大きな宝。結婚いう生活の大転換を経験し出産という自分が自然の中で生きている生かされている自然体のひとつであると普遍のことを3度も経験し、子育てに集中し仏にも夜叉にもなり、人として一生命体として?自然な姿を経験させてもらって。
そんな経験をしながら。この年となって自分の軸であったことが鮮明に見えはじめ。
そしてその想いを花開かせるようなお導きをいただいて、歩ませていただいている
振り替えれば全てがこのときのために与えられてきた経験のように思え。
人生とは人の歩みとは、不思議なものです
先人からの言葉も沢山にいただいて、様々に思い出され。
だからこそ、まっすぐに感謝しながら懸命に歩みたいと。そう思う。
comodo 教室を作ったときに恥ずかしながら生意気にも付けたアトリエの名前。音楽速度で少しだけゆっくりととそんな意味がこの言葉が心に響き。後に中庸という意味があるとも知り。
25年の時を重ねた今皆にそして共にそんな想いを感じあえる場であってほしいと心からそう思う
夢の上に夢があることもあるんやでと言われたことが思い出され。
この芯にまた年輪が重ねられ、これからの歩みが素晴らしいものであるようにと心から願って。