日記

2024-05-30 01:25:00

フジコヘミングウェイ

魂のピアニスト

うとうとしながら目が覚めたらドキュメントが。

92才にして私ごときがいえることではないのですが、完璧な演奏。

どれ程の精神力で、どれほど鍛練を日々されてきたのだろうかと思う。

何度かドキュメンタリーでその生涯も見させてもらいながら。その繊細とは言いがたいラカンパニュラにどこか魅力を感じて。

また人として確たる芯を感じるその生きざまや言動に、同じ音楽家であった母への複雑な思いも感じて、またエリートの道を歩みながら歩みきれなかったその運命の導きに、何か熱いもの?もっと複雑なものを感じたことを覚えてる

最期の時を迎える、フジコさんの晩年の姿を映したドキュメント

複雑でありながらも透明で素直なフジコさんを感じて。リストへの愛情情熱がどれ程のものであったかも知れて。

芸術家に完成はない

だから私のカンパニュラがよいと。

機械のような音楽なんて面白くもない。

あの世でリストやショパンにどうだった?て聞いてみる。きっとよかったよって言うよ。

と。語るフジコさんの表情言葉がなんの飾りもなくて。いつもはフジコ節だなと思って聞いていたのに、なぜか今回はとても直球で素直に心に優しく語りかけてくれるような。

リストはなぜ好きですか?との問いに、音楽性を語られるのかなと思いきや、信仰心と。最期は牧師になられたと。お父様おじいさまも牧師であったと語られて。

どれ程に救いを求められずに居られなかった人生であったのだろうとおもう。

様々な巡り合わせで一旦表舞台から去りながらも68才でその音楽を認められ。魂のピアニストと言われるその姿と音楽は、

その言葉に表しきれぬものを音楽のなかに包括されて、芸術として昇華され。

無国籍でそして世界という舞台を生きて、世界中の人に愛されて。

でもそのフジコという名前に、日本人とスウェーデン人の親の心と、その名前を冠した宿命や必然というものが感じられて。

やはりえらばれし人なのだなと思われてならない

 

きっとおそらのむこうでご両親やリストやショパンと楽しく語られて、思う存分ピアノを弾かれてるのだと、そう思う

 

ありがとうございました

心からの感謝を