日記
2024-06-04 16:16:00
古代文字
若い時に子供教室をまかされ。その時に師匠から受けた教育方法は心に響き。
形を教えるだけでなく。自由に書かせることも、というかその方を優先すべきと。
古代文字を書かせていました。ある意味学校書写教育とのバランスを取って、個性創造という芽をなんとか残したいと。
今の私があるのは子供の一時期書道がいやになったことも大きく影響していて。
その事を先生にお話ししたからかどうかわかりませんが、現在博光会のテキストにも子供の古代文字のコーナーが作られ、私の教室でもその起源や表現されていることなどのお話しも読み、楽しんで取り組んでいます。
もちろん、博光先生は自我を爆発させられる天才なので、そんなことは百も承知で。
と同時に臨書の大切さを語られることの、その書き写しにとどまらない奥深い意味もようやく知れてきて
ちょうど今書いている自叙帖などは臨書といえども懐素の息づかいや空気感を感じて書き進んでいるようなもので。
そんなことを自分も経験しながら、やはり書を教える思いは間違っていなかったと思えるお話しも拝聴し。安堵と勇気が。
なくなった田舎の祖母が、戦後に母にこんこん語っていたと。アメリカさんは賢いは。武器や鉄砲なしで日本をつぶしてはる。教育を変えて人を駄目にして日本をだめにしてる と。
そんな時代に抗い、賢明にお家大事お国大事と日本を守るために生きてきたそして戦後生き残った日本人は確信をもって悲壮感に満ちて抗ってくれていたのだと。
ただの田舎の商家の人間にもその心意気はあって、そんな教えをどこかに引き継いでもらえたことに、今この時代となってことさらに深い感謝を覚える
さぁ書こう