日記
気づき
先生から一瞬で跳ねられた作品
気分よく書いた作品でした
言葉もなく、心が沈みました
先生のご機嫌もなんとはなく嫌なものを感じて
A先生から言われていること、関西の錬成会で理事長先生に言われたこと、そして石飛先生がつぶやかれること。同じことで
ある時やはり設計図が必要なのかなと思ったときに、あなたは感性の人だからそのことを大切にと言われ、そうだなと私も思い突き進んできました
考えて書くタイプ、思いのままに書くタイプ。
確かにタイプはあると。でも思いのままにでも考えてだけでもいい書は書けないと、A先生からのご助言。
落ち着かないなぁ、どこかスリリング。と善きにも悪きにも石飛先生のつぶやきはいつもあって。
そして10年たっても気づけない私は今まさにここにいて。
そう。超天才でない限り、血を吐くほどの鍛練をしない限り、一瞬の思いや気分で人を感動させる作品など書けるわけもなく。書けたとしてもまぐれ、たまたま
いかに書友の、すごい素敵青楓さんらしいという評価に知らずおごっていたのかと。天才にしか見えないものがあり、その域に達せずには人を本当に気持ちよく感動させる書などはいつもいつも書けないのだと知らされる
誰もがタイプを越えれずもがいているのだと
そう思った時にみたYouTubeから同じような思いが感じられるお話があり。SNSの心理についての文言から…
中庸ということの大切さを感じて。
またそれは、今はなき大切な尊いお方が生前夢に来て語ってくださったことにも繋がって
その方に聞いても答えていただけなかった答えとはこの事だったのかと思えて、そして法然上人のお像の前で気づいたその夢からわき出たやりたいことはまちがいないのだと、そう思えて
勇気をいただく
すぺてのことは繋がっているのだと
実感