日記
公園掃除
自然や目に見えぬものへの恐れ畏れは、人間のDNAに刷り込まれて
特に日本のような自然災害に見回れて暮らしてきたものに取っては、今も人の心に刻まれて
近寄り難いものは、より大切なものとして人々の求めるところとなり。
自然の恵みに感謝して、穏やかであることに感謝して暮らしを育み。
園長先生のお話で、物心尽く幼い頃に目に見えないものの存在を知るということは生きていく上でとても大切なことであると言う言葉がありました。なるほどと納得したのを覚えています
物心ついたときから、岐阜の本家に帰るとまずお仏壇に手を合わせ。法要ではお接待の裏方のお手伝いをし、村人のコミュニティ?の一躍を担うことに嬉しさも覚え。
いつしか心に目に見えぬものは宿ってくれて、今私を支え励ましてくれる
その空気感に畏れをなして近寄りがたく、私などはとてもその場に居られないと思ったこともありましたが。
時に優しく時に厳しく時に気付きを与えてくれて、幼い頃の思いがわき出て、親の懐に居るような思いとなり
まんまんちゃんあんと息子も育て、悪いことをしたら悪いことしましたか?嘘ついてませんか?まんまんちゃんにちゃんと言えますか?
といえば、私にはたてついていた息子たちも、まんまんちゃんごめんなさいと反省もし。
今彼らを見るに、ありがたいこととそう思う
何も詳しいことはわからないけれど、親に尊い方々に語ってもらったことそして経験させてもらったことはは血肉となって息づいてくれて
なんとありがたい半生をご縁をいただいたことかと感謝の気持ちでいっぱい
今日の公園掃除には、若いかた子供たちが沢山参加されて。皆で落ち葉をひらい、公園が綺麗になっていくことを喜び
先日の法要でも若い世代の方々が親に付き添い、親に変わって、参られて。
小さい頃につれられたお寺の思い出や親の話をされて、人の心は繋がれているとそう思わせられる
公園掃除なんか暇な年寄りにさせておけと豪語し、早起きもせず平気で寝ているひともいて、世の中はなんとそのような人も居りそのように世の中になっていくのかと諦めていたけれども
公園やお寺の人々の姿に確かに人には深く刻まれている心はあるとそう思わせていただきました
若い世代に子供たちに少しでもわずかな我が思いをつなげられたらとことさらに思う