日記
親友
祝賀会で、親友のスピーチ。結婚式以来です、とにこやかに。
そう、数十年前に友人代表のわずか数分のスビーチで、私の人となりを語りつくして、未だに親戚友人参加者の語り草になるほどの楽しい情ある話をしてくれました。
今回のスピーチでも。見えぬ私を語ってくれて。
結婚してからは様々な事情で会えない時期もあったけれど、しんどいなーと思ったときに、必ず連絡をくれて、会えなくてもどこか繋がってるそんな感覚があると
共にテニスに打ち込み汗し涙し、学校生活でも共にいつも居てくれていつも客観的に私を見てくれて、確かな意見をのべてくれていました。
卒業してからも公私?共に様々と頭心悩ませ、共に涙することも。
結婚してからは会えない時期もありながら、何となく気になって連絡すると、今電話しようと思ててんと。お互いにそんなことがあって。気がつけば一年以上連絡してないこともあるのに、話せば昨日のようで学生時代とおなじで。そしてどこか互いに学び成長した言葉が目があり。
そう。もうエエで。もう充分やって来た、やった。
自分の思いのままにやったらエエ。
これが今必ず出てくる二人の会話。互いに励まし合ってるのかな?
心友とも思え。こんな友を持てるのは本当にまれなことではと心からそう思う
親友がいるということがとても大切なことでまた信用になったりと思う人もあるかもしれないけれど、思春期に思い悩みたった一人悶々と自分を見つめてきた人も素晴らしいと思え。
そのなかで毎日共に居るでもなく、言葉もなくでも互いに必要なときに心から助け合えることができる心友を得られたことは、本当に自分のなかでの見えぬ財産だとそうおもうのです
母が私たちの繋がり言葉行いをその時々に見続けてきて。
あんたこの子を、一生の宝と思わなあかんで、とそう言ってくれたこと
今本当にとそう思う。
親の目とは、確かに未来を見てくれている
そして亡くなった今、より本当にそうだと思う