日記
二人のイーダ
早朝原爆に関した記事を読む
母と同い年の被爆者で語り部の活動をされておられるけいこさんの事が詳しく特集として取り上げられていて
大学の児童文学の宿題?で、松谷みよ子さんの二人のイーダを読みました。その時その中に出てくる少年と同化したように読み更けてそのサスペンス的な感覚に吸い込まれて感想を書き、この小説を母となったときに必ず子供に読み聴かせてあげたいとくくっていたことを覚えていています。
それから母となった幼稚園の保護者の読書感想文コンクールで、そうだ!とこの本を選びました。
三人の息子を膝の回りに座らせて、母の膝を奪い合うでもなく母に寄り添い、読み聴かせてもらうことの大好きな息子たちは、子供にしては長い小説に耳を傾けてくれました。今日はここまでと区切りのところまでで布団に入り、そのあと一気に読みふけり。
その物語中の椅子とすっかり同化してどんどん小説に引き込まれて、涙で涙で心がつぶれんばかりとなり、傍らで眠っている我が子の寝顔がどれ程ありがたいかと心から思いその思いを綴ったことを思いだします。
そんな息子たちは子を持つような年となり、私も息子より亡くなった母の年に近くなり、そして今また原爆のことについて思いを馳せる。
正直大阪で生まれ育った私にとって原爆は風化の道をたどっている感覚がありました。原爆の日とも意識なく、何気にテレビを着けたら8時15分。ちょうど黙祷の画面でした。あ、そうか!と思わず手を合わせ。一緒に黙祷させて頂きました。
語り継いでいこうと決心したけいこさんの心の葛藤を読み。これもまた必ず忘れてはならない受け継がねばならない歴史のひとつだとことさら改めて心に響く。
まだまだと思っていても、元気な身体でおられるのはどれ程か本人にもわからず…。けいこさんのような大きな重い使命ではないけれど、脈々と続いてきた歴史や文化の継承のほんの一部でも担えることにやらねばならぬことを感じる。
娘の時に感じたこと、母となって感じたこと、そして今の齢となって感じること。その全てが血肉となってこれからの自分の営みに力となってくれるような気がして。
そんなことを思ってもみなかったのに、回りを見れば様々な事が備わってきていて、さらに繋がり導かれ、それが私の持っている本当のご縁というものなのかなと。
大切に大切にせねばと心から思う。