日記
2023-09-21 22:08:00
芸術三昧即信仰三昧
上村松園の言葉。芸術三昧即信仰三昧
随筆集完読。思った通りの人であった。
絵から受ける印象、醸し出すものに何とも惹かれ、だからその絵を描いた松園という人にとても興味を抱いていました。
京セラ美術館の売店でふと見つけ、ありがたいと手にとって購入。
京都の商家で生まれ育ち女手一つで切り盛りした母の背をみて、凛と崇高にそして心の奥で深い深い人間性を持ち合わせて。
順風満帆な芸術人生の中でだからこその苦しみを抱え。この時代の女性にはそぐわない画家という道を歩み、ひとり松篁を産み、その信念たるや言葉にならない。
そこにある姿は、慎ましく媚びず奢らず凛として、打ちに燃える炎は見せず、思慮深く愛情深く、そして恩を忘れず。
信仰心の厚い母に育てられ。その母の思いに支えられ、それまでに繋がれてきた生活の中にある信仰というものに支えられながらも、さらに己の心の深みに悶え苦しみ…
そしてその姿からはいまあることへの、申し訳なさというようなものも感じてしまう。
そこからしか生まれてこないような、本当の思いやりと謙虚さ。それがあの美人画の醸し出す匂いと松園が人に見せる姿であったような。
神仏と共に芸術はあり、生きる時をその絵を描くということで松園というそのものを昇華させていったと。
全身全霊とはこの事かと。心が震える。
そして松園最期の言葉。没後見つかった松篁への思いがつまった遺品。意外であって、と同時に利他と生きた人の言葉と姿と涙が流れる。
全身全霊で生きたその姿と言葉、申し訳なさを忘れず。心に刻む