日記
廃墟
二つの廃墟と化した寺院へ。
木にまとわりつかれ、侵食され、完全に木の根っこに飲み込まれてしまった寺院。
ベトナム戦争で、ベトナム兵の隠れ家となっていた寺院が、アメリカ軍の空爆をうけ、無惨に石組が崩れほぼ壊滅状態にまで破壊された大寺院。
ともに廃墟の姿は同じでも、木に廃墟とされたものはどこかひとつの営みの終焉を感じると同時に人工物を、飲み込み巨大化していく木々の姿に生命力のおぞましさのようなものを感じ。
爆撃を受けたかつての大寺院は、どこかもの悲しげで。何ともいえぬ感情がわき出て。盗掘にも合い、頭をもぎ取り街に売り飛ばされた頭のない仏像の姿や、跡形もなく瓦礫になったかつての美しいであったろう回廊は、何とも欲や自利で埋め尽くされた人間の業が涌き出ていて、いてもたっても居られなくなる。
壊れた屋根の上のわずかの隙間に根差した生き生きとした木が生い茂り、何とももの悲しく、その姿は天空のラピュタのモデルになったとか。
王様を寺院に迎える折りに踊られた神聖な踊り子の舞台がそのまま残り、華やかなその舞台の下は戦時中の防空壕だった説明を聞く。
最後のまた悲しいお話に心が痛くなっていたら、リーさんがとても優しいことをしてくれて、係員の方も優しい笑顔を手向けてくれて。
思わず手を合わせてお礼をすると満面の笑みで合掌してくれて。
最後に優しい人の心に救われた思いがした。
この舞台の上で踊った踊り子たちはどんな心持ちだったのだろう。爆撃におびえながら、ベトコンと言われた民間の家族たちはどんな思いでこの舞台の下に息を潜めて居たのだろうとかんがえながら、
我が身もふりかえり、平和しか知らずに一生を終えられることのありがたさをしみじみ思う。