日記
家
息子もそれぞれ家庭を持ち
皆が出ていき、一人で住まう家となり
家族を育む家ではなくなったけれど
これまで以上にお人が訪れてくれる家となりました
鳥が家に舞い込んできて
大きなパワーを、運んでくれて
嬉しいことです
一人の私に寄り添いに来てくれたのかな
ひょっとしたらショコちゃん?とも思えたり
ありがとう
感謝です
鳥
舞い込んできた鳥が、吹き抜けの嵌め込み窓から出ていこうともがいて。
ベランダも開放して、窓も全開にしたのだけれど、なかなかそちらには行かず
長い棒に何とか留まらせて、ベランダの方へ持っていこうとしても途中で飛んでしまってまた嵌め込み窓の方へ行ってしまい
悪戦苦闘
体力もなくなって飛ぶ高さも低くなって
お水とリンゴをおいて、インターバル
じっとうずくまる鳥を見ていて、だんだん心配が深まり。
そうだ!とホームセンターに虫取網を買いに走る。
何とか捕獲
ベランダに連れていって、どうか元気に生きていってと、祈るような気持ちで何とか網から出して。
そうしたら
どこに宿ることもなく、元気に一気に青空に白い雲に元気に生き生きと舞い上がっていきました
また原稿を書くのが先になったけれど
嬉しい気持ちでいっぱいに
ありがとう
大切なこと
すべてのことへの
信
そう思う
円融無礙
YouTubeでまた同じく思っていることが語られていて
そうそうと相槌うち、素晴らしいと思う
体験したことも語られていて
先日体験したありがたいことの、その時のその感覚も思い出されて
同じ感覚を持たれてるのだと
感動もする
円融無礙と心にある願い
ここにもと
そう感じる
運命
やはりあると思います
宿命も
親子というのは宿命としかいいようなく
来てくれた子が子供となり
選べもせず全くの無の世界から結ばれたひとが親となり
だからこそ大切にしなければならないものだと
運命は
与えられるものではなく
すがるものではなく、諦めるものでもなく
今あることをいかに運命ととらえられるかではと思うのです
与えられること、起こる出来事、様々な人生の事柄をキャッチし、それをいかに自分のなかで昇華させていくか。自分でいかにとらえられるのかが運命のような気がします
今、様々に感じること、起こること。
それを運命として大切に育てていきたいとそう思う。
自分の意識を越えたもの、自分ではとうていなしえないこと、様々な偶然を確かなお導きと感じて。それが現実の大きな力になって、皆人の次代の人のためになればこの上ない人生
そう思うのです
出会いも様々、縁も様々。
でも確かな出会いこの上ないご縁と大切に思うことができることが運命と。同じく思ってくれるお人が運命の人といえるのかもしれません
そしてまた、それを越えたものも
確かにあるとそう思うのです