日記
夢
もう少し先に、出来事が、
それまでの恐れに負けずと。
今の自分を感じて、様々なことをしっかりと見つめて参ります
普遍
世の中は変化して常にかわっていくものですか?
と問うたことが
変わらぬものが大切なものでそれを求めていかなあかんと。
そう言われているんやで、とお教えいただいたことがありました
大切な変わらぬもの
私の思うものなどは浅はかなこと
どんなものかと問うてみたい
深く深く感じてみたい
父性
父性は虚構と…
はて…?
父親としての経験値はゼロなので
はて?です
お話聞いてみたいな
晴れと褻
晴れと褻(け)
といって、今どれ程の人に通じるのでしょう、
私の代でも普通にこの言葉が出る人は少なく。
船場育ちの大姑が、この頃は毎日ご馳走で毎日お祭りや。そう面白く無さそうに言っていたのを思い出して。
子供の頃はお正月に新しい下着と歯ブラシが用意されていて、日本髪を結いお正月の晴れ着を来て初詣につれていってもらいました。
行事ごとはいつもちゃんとしてくれて。
法要やお祭りはそれはお人がよって賑やかなものでした
そんな営みはその時代の当たり前だったのかも知れません。いやもっと日本の世界のはたまた人類の自然の営みであったのかもしれません
自然のなかで生きてきて、災難災いと共にあり、そのなかで生き延びていくことの恐れと感謝が様々な年中行事となり祝祭となり。そのなかで精神的なけじめができ安定となっていたような。
今は何事も苦労なく贅沢となり…,
大姑のため息も納得させられるものが。
自然の恐れが少なくなったとはいえ、越えられぬ驚異はまだまだこの世にあり。疫病も病も死も普遍に身近にあり、はたまた重労働の農作業はなくなったとはいえ、機械化が進んだ世の中で心身の重労働は加速して。
時代にも晴れと褻があって。お化粧もせずに子供を乗せて自転車で走り回り、パジャマに着替える力もなく子供と共に寝落ちしたことも多々。立って台所で食事をしたり…。
子育て終われば親の介護でまた寝るまもなく、
そんな日々を経て、少しできた時間で日本の世界の文化を楽しむこともでき。ようやく晴れも味わえる様に
様々な晴れと褻。
晴れを知らなければ本当の褻もわからず、褻も知らなければ本当の晴れもわからず
若いお母様がたに書と共に年中行事や季節の言葉もご教授させていただきながら、お人としてまた親として晴れと褻を意識していただくひとときがあればと、ことさらに思う。
日常を大切に丁寧に過ごして、そして様々と学び教わってきた晴れの時をしっかりと味わい過ごして、日本の営みをリズム?を日本人として大切にしていきたいと、そう思うのてす
影武者
影武者、いや逆影武者?
ご縁あるお寺の教祖堂の扁額のお手伝いに。
浄心殿と
前は仁王さまの居られる山門の扁額をお手伝いに。北魏の楷書や造像記風に力強い表現の額となりましたが、今回は奥さまがかかれるとのこと、またお母様の教祖堂とのことで南朝風の穏やかな行書で
お手本を何種か書かせて頂いて、今日はご指導に。
筆も慣れられているのでスムーズに進んで。
リズムの取り方や様々とアドバイスさせていただき、とても素敵なものができました。皆さんに喜んで頂き、嬉しくて安堵。もうなくなられたという高野山の大阿闍梨様の本堂の扁額と共に、影の一員として参加させていただいた扁額が末代まで飾られると言っていただき込み上げるものが。思えば祖父が宮大工で名もなき一員として名刹の建立に携わっていたと聞いていたのを思いだし。これも祖父のお導きなのかなぁと。
11月が落慶法要と。今からとても楽しみ。
華々しく作品を作って展覧会に青楓作と発表することも嬉しいことですが、また今日の様に影に回り作品の一員として名もなき参加をさせていただくことも多々。でもこういうご依頼を頂き良い作品ができるとまた違った嬉しさと感動があるのです。
ある作品展の紹介がテレビでされていたときに、席上揮毫されている脇で師匠のかたがその同じリズムで自然に身体が動かれておられるのが隅の方に映っていたのを見つけたことがあり、その時にご自身も作家活動やお仕事があるなかで、どれ程この書展のためにご尽力されてきたのだろうと胸が熱くなったのを覚えています。師とは皆そのようなものかと。そして守破離とその運命を受け入れて行くのだなぁとしみじみ思う
こちらのお寺も不思議なご縁で。またそれが様々と色んなことが次々繋がり発覚し。そしてまた色々と助けていただき。こういうことやってんねと。また今日も必然のようなご縁のお話にしみじみと。
あるべきご縁が皆良い形をなして表されていき。
嬉しいことです