日記
言葉の奥
言葉に綴った心の奥に奥にある思いは、どれ程伝わるのでしょうか
大丈夫、悪くないよ
がんばれ😊
心がしゃんとすれば、思いが見えます
そして見えた思いを大切に
伝わったかなぁ
音楽
Alexaに優しいジャズを、と頼んだら
穏やかな記憶が流れる
こんな曲もジャズに入るのだと想いながら
穏やかな心がひろがる
昨日見つけた言葉を、書いてみよう
休日
さぁ
掃除しよう
本物
臨書をしなさいと誰もが言われます
日本を背負って来た勲章もらわれるような先生方も毎日臨書に向かわれて。
皆臨書という同じことをされ、それで一人一人それぞれに個性ある書を書かれて。
それが本当の個性というものなのだと。石飛先生なんて爆発してて。でも上品で。素晴らしいのです。
変わった字を書く人も沢山にいます。でも基礎のない気にてらったような字は書家からみると一目瞭然で。その奇想天外さに興味は持たれまた刺激や参考にしたりされますが。確かにその瞬間だけなような
だからこそことさらに強く言われるのてしょうね
石飛先生のまだまだ進化し続ける書に。是非も言わさず様々に鍛練してきたその努力や試練が垣間見られ。
そう。先輩方々は石飛先生から教えられたり、誉められたりすると、見放されたと思うと言ってらした。私とは全く次元が違うのですが、でも私も個性であったある書き方を封印されてとてもつらい時期があったのですが、解禁となった今さらに個性をましていて、今思うことは、感謝でしかないのです。
そう。書が好きだから師匠を信じているから、何でもできるのでしょうね。そして感謝もわき出てくるのだと思います。そこに師匠の深い愛情があればことさらに
何千年と続いた営みのおもさも尊さもあり。
そして現代に花開く書はその上に自由で華やかで
臨書。基礎中の基礎。大切にと。人を心をも育ててくれる。楽毅論で少し気づきをいただき、また深く書に臨めるかと。
書を学ぶと言うこと心して。そしてその上にのびのびいや爆発せよと個性豊かな私だけの書をと。心して。
これは何事にも言えることのように思います
光明皇后
光明皇后の楽毅論を臨書する
臨書しながらふと思う
王羲之の書を光明皇后が臨書されたものが光明皇后楽毅論。王羲之の楽毅論は豊かな線で穏やかなのですが。それを臨書した光明皇后の書は強く厳しく、その筆勢になんと男っぽい人だと思ったのだけれど。
その生きざまをほんの少しだけど知って、そして深く思いを込めて臨書してみたら。そのか細い線のなんともたおやかさが心にしみて。
強くあらねばとつとめてきたひとなのだと。ふとそう思いその人がらに心に思いを馳せる。
阿修羅像にこもった一母の思い、福祉への尽力、国母として、藤原不比等の娘として
どれだけのものを背負って生きてこられたのか。
書も臨書を欠かさず仏門にも修行に励まれ。何事も土台がしっかりとしておらねば成り立たずということを身を持って表してくれて。
その人となりの芯が軸がしっかりと育ち備わっていかれたからこそ、皆衆生や誰しもに円融無碍と寄り添われ、大慈悲の人であったとの逸話も何千年も語り継がれる人となられたのだとそう思う。
人としての礎と鍛練、国母としての責任と愛情。今の世に同じくの激動の時代を人に寄り添いまとめあげて。
そんな憧れは遥かとおく
少しでもそばに行きたいと思い。
そして最後は己のための仏道に安住されたのだと思うとなんだか心が優しくなるのです