日記
感受性
人にはそれぞれ個性というものがあって。錬成会では沢山の先生方にご指導お話いただけるので視野も広がり自分もまた違う気づきを貰えたり。
感受性は強い方かもしれません。題材や表現方法が素敵ねといって貰えることも。
石飛先生はその発想表現方法は天才といわれるほど。人のやらないことも平気で取り組まれ枠を越え。
でもその文字の位置や線の出し方墨色…等々、繊細でミリ単位でこだわられると。その上であの大胆な表現が生まれていると
私などは気分で書いている。としか言いようなく。
そこそこ臨書も勉強もしたつもりで作品も様々と書いてきたつもりですが。その鍛練などまだまだ。
先生のそこに積み重ねてきたものの重みと取り組みかた、そして学ばれてきた姿勢…、様々な深い経験があってからこその作品と。
確かな理論や理屈などは微々たるものでもちろん大切なことで礎に違いないのだけれど、はるかにそれを越える、様々な涌き出る思い、経験の積み重ねの重みの大切さををひしひしと感じる
お寺で先日ご指導のおりに、書は筋やとつくづく思いますと、何度も言われて。そんなことないよと思ったのだけれど。
先生を見ていると、本当にそうなのだなと思える
わずかばかりの筋でも備わってますようにと願う。この今のそしてこれからの経験が書に生かせますようにと。さらに精進しかなく。その事はきっと書だけでなく様々なことに波勢していってくれるとおもうから。
本当に良いものに良い環境に巡りあわせていただけました。
気分ではなく、本当に自由で確かな書が書けますようにと心からそう思う
ご指導
錬成会のご指導。石飛先生、今回は辛口で。しっかりと石飛先生の叱咤が。日展、現代展と大御所展覧会の作品ご指導なので。また創玄の熱海の日展合宿も控えて、それもまた納得の事なのですが。
期待してくれているから、まだまだ書けると思っているから怒ってもらってるんだと、そう思って頑張ろうと。とそうは思うのですが。
怒られていることで繋がりを幸せを感じることもあるけれど、様々な方々を見させていただいてその事からも感じることもあり。
自分も顧みてもっともっと真摯に取り組まなければと、背筋が延びる
他の先生方から、たくさんご指導お話をしてもらってよかったねと頑張ってといってくださりありがたいことです。さらに枠を越えて殻を破って、そして書の表現伝統理論ということを再度確認してと。
書とは大変なものです。
錬成会
開始前
墨刷りながら
忖度ということを考える
話
昨晩、様々とお話
なるほどと思うこともあり、私には程遠いこともあり。
そんなお話を聴きながら、自分を見させてもらう
鏡
ふと鏡に映った顔
優しい
良かった
今日は釈迢空の和歌を書くつもり
折口信夫…懐かしい人に巡りあわせていただきました
若かりし頃の熱い心がよみがえり、フレッシュ