日記
朝
ただただ信
南無
母
母の命日に(すっかり忘れていたのですが)とても素敵な夢を見せてくれて。
そしたら本当にその通りになって。
やはりずっと心配して守ってくれてるのだと思え。
勘の強い人でした。何より情の深い人でした。
きっとお空の上で、どきどきはらはらしながら、たくさんのご縁あった人たちのことを見守って、あちこちととんでいってるんでしょうね。
仏さんがあんたのことみんな頼ってはる。とご縁あるお寺の方に言われたことが。
そのあと実家の本家の無縁さんの問い合わせがあったり。あちらこちらとお寺にご縁が広がり。今も様々とご縁を繋げていただいて。様々とよいご縁をいただけて。助けていただいて。
頼られるようなことは何もできていないけれど。
アトリエもはや25年。思えば募集もせず皆さんご縁あって来てくださった方ばかり。もちろん様々なご事情で途絶えたかたもおられますが。
お人によってそれぞれと不思議なご縁を感じまたびつくりするような偶然があったり。
はたまた、石飛先生などは本当にふってわいたような偶然でお繋がりができ、こんな新参ものにさらには役員までお仕事頂戴し会の運営、書のご指導とお近くにおらせて頂き。
様々な偶然ご縁に結ばれて今を勤めさせて頂いてるのだとしみじみ思う。
書の世界に居るからでしょうか、皆さん様々と経験した人ばかりだからでしょうか。私のこんな不思議な(ちっとも不思議と私は思ってないけれど)お話を、皆さんふんふんとうなづいて、興味深く聞いてくださって。
自然のなかで生きてきた日本人のDNA?を感じて、そして日本の文化や精神に対する慈しみも感じて。本当にありがたいご縁を頂いたと思う。
書の道に深く繋がって着いてきてくださる人、室礼に興味を持ってくださる人、癒しを喜んでくださる人、みなそれぞれにこの場を大切にしてくださり、この空間をそだててくださって。本当にありがたいと思う。
母も時折助けてくれながら、書を共有しながら本当に安らかな希望に満ちた晩年の道に導いてもらって、幸せなことです
これまでにここまで導いてくださった方々に感謝の気持ちしかなく。
一歩一歩と進んで参りますね
これからもお空の上から、どうぞどうぞお見守りください
奥底
心の奥底
わき出るもの
信の果てにあるものと
今そう思え
そんな尊いものにははるかに遠く、おこがましいことですが…
でもその姿に憧れて、みなひとが本当の幸せを得られるようにとそう思う
そんな思い胸に、共に溶け合い一生添い遂げられれば、この上ない幸せと
今度こそ、さまたげされることなどなく、
お堂で見せていただいた光の道へと命の限りただひたすらに歩んで行きたい
お大師様が結んでいただいたありがたいご縁
心から感謝して
優しさと弱さを取り違えることなく
お心をしっかりと胸に抱いて思いの道へ
皆の幸せがそこにあるとそう信じて
今、お空から嬉しい便りが…
がんばります
ご縁
確かにご縁というものはあって。
様々と
それが必然であったり、運命であったり、はたまた宿命か?とおもわれることもあったり。
過去を振り返り、この先よりもこれまでの年月がはるかに長くなると、お導きというものも感じられて
自分ではわからないけれど、よいご縁があぶり出されて行くような
どうぞ幸せな最期へお導きをと
さらに精進。
フジコヘミングウェイ
魂のピアニスト
うとうとしながら目が覚めたらドキュメントが。
92才にして私ごときがいえることではないのですが、完璧な演奏。
どれ程の精神力で、どれほど鍛練を日々されてきたのだろうかと思う。
何度かドキュメンタリーでその生涯も見させてもらいながら。その繊細とは言いがたいラカンパニュラにどこか魅力を感じて。
また人として確たる芯を感じるその生きざまや言動に、同じ音楽家であった母への複雑な思いも感じて、またエリートの道を歩みながら歩みきれなかったその運命の導きに、何か熱いもの?もっと複雑なものを感じたことを覚えてる
最期の時を迎える、フジコさんの晩年の姿を映したドキュメント
複雑でありながらも透明で素直なフジコさんを感じて。リストへの愛情情熱がどれ程のものであったかも知れて。
芸術家に完成はない
だから私のカンパニュラがよいと。
機械のような音楽なんて面白くもない。
あの世でリストやショパンにどうだった?て聞いてみる。きっとよかったよって言うよ。
と。語るフジコさんの表情言葉がなんの飾りもなくて。いつもはフジコ節だなと思って聞いていたのに、なぜか今回はとても直球で素直に心に優しく語りかけてくれるような。
リストはなぜ好きですか?との問いに、音楽性を語られるのかなと思いきや、信仰心と。最期は牧師になられたと。お父様おじいさまも牧師であったと語られて。
どれ程に救いを求められずに居られなかった人生であったのだろうとおもう。
様々な巡り合わせで一旦表舞台から去りながらも68才でその音楽を認められ。魂のピアニストと言われるその姿と音楽は、
その言葉に表しきれぬものを音楽のなかに包括されて、芸術として昇華され。
無国籍でそして世界という舞台を生きて、世界中の人に愛されて。
でもそのフジコという名前に、日本人とスウェーデン人の親の心と、その名前を冠した宿命や必然というものが感じられて。
やはりえらばれし人なのだなと思われてならない
きっとおそらのむこうでご両親やリストやショパンと楽しく語られて、思う存分ピアノを弾かれてるのだと、そう思う
ありがとうございました
心からの感謝を