日記
室礼
なかなか行けず
久方ぶりの、お稽古。
お雛様の室礼をテーマに
宗匠の荘られるお床は、何ともいつも素敵で。
もちろんお持ちになるお道具ひとつひとつが歴史もセンスも作りも素晴らしいものばかりで。
さらりと書かれた金泥のお雛様は何とも上品で。こんな絵が書が書きたいなと、ポワン。
何より、お菓子のおはこびのお稽古で。
宰相からご指摘。決してマニュアル本には書かれない些細な?ことで。でもそれが日本の心を文化のすべてを物語っていて。そのご指導された後の所作がまた、何とも柔らかく穏やかで。
そう思える心を宿しなさいと。人を思うとはこういうことなのだと。そして物言わぬ所作からその事が汲み取れる人でありたいと。
現代の合理的になりすぎた?世の中で。忙しさのなかで私も忘れかけていた思い。、
こんな些細なことがなくなっていき、見えることのみに突き進んでいくささくれた世の中になっていくのかなぁと思うと。少しでもそんな心を伝えなければとそう思う。
そう、華瓶といわれたことが。まさにこのことかと。
憧れ
とてもとても素敵な先輩がいます
書団にはもう絶対属しないと、そうかたくなだったのですが。
カレッジの後のお食事会に何度か先生がこの方を誘われて一緒にお食事させていただく機会があり。
こんな方がおられるのだったら、そんな会だったらやっていけるかも知れないと決心したのです。
もちろん、鴎亭先生がお育てになった石飛先生の会は石飛先生のお人柄もあいまって、素晴らしい会でした
そのなかでも、その先輩は本当に素敵で。誰もがそう思ってるのがわかって。
その何もかもが、優しさを元気をなんのてらいもなく、自然にふわっと与えてくださるのです。本人もわからず自然にかもしだされるのでしょうね。
特に何を勉強されるわけでもなく。様々と勉強されておられる方は回りに沢山おられますが、図抜けてトップ。
勉強せんでもええとある時言われたことが思い出されて。
どうしたらそんな人になれるんやろうと。
ただただ憧れるのみ
ふわっと
昨日室礼のお稽古に久しぶりに行けて、ちがう空気を吸えたからでしょうか
少し東京のお仕事のペースが緩んだからでしょうか。
今日はなんだか朝からふわっと。
いろんな方の辛いことにそうてはいたけれど、どこか心が固くて優しさを絞り出していたような
自分の苦や業に負けずと力尽きていたのかもしれません。
自分の本当の心がわかり、何もかもお任せし、本来の心がやって来てくれたような。
そして、素晴らしい世界へひとつひとつ近づけるような自分でとそして憧れの思い融通無碍にと。
何をどうすればよいか…と思いながら手を合わす
性質
昨日自分の性質を調べてみました
なるほどと。
家族も独立していき、寂しくなる年代になり思う節あり。でも、素敵なお仲間がどんどん増えてありがたいことです
本当に心からひとりぼっちで寂しい人をこの性質で豊かな気持ちにさせてもらえたら、私もどれだけのしあわせであろうかと。
そんな人生を歩めたら、人生悔いなし。
そう思います。
たかが
たかが夢
されど夢