日記

2024-02-05 11:53:00

行間

行間を読むのは、読み手のこころ。

その文章をどう読むかは、人によって違って。

書き手の思いとはまた別となり。

そして、読み手がどう読みどう感じるかで、そのときの読み手の心がわかります。

俳人の方が、作品が手から離れたら、読み手のかたの好きに読んで頂いてよいのだとおっしゃっていました。

そこまでの境地にいたらなくて、言葉にしても作品にしても、涌き出た素直な心をわかってほしいと思ってしまいます

でも、究極は書き手の心と読み手の心が溶け合って、書き手や読み手の感覚を肥えたものが醸し出されるような。そんなことが起きたらミラクルだと。言葉でも作品でもそんなことが起こってほしいものです

 

 

 

2024-02-05 04:35:00

思い

嬉しいです

再会の素晴らしいときをありがとう

心からそう思う

2024-02-04 22:10:00

からを破り、ようやく持てた強さ

 

それが真の強さになるように

またひとつ種を植えて

感謝

2024-02-04 21:27:00

書道甲子園

書道甲子園表彰式のお手伝いで毎日新聞本社へ

若々しい高校生たちが沢山に。

初々しく。

初心忘れずと

 

 

 

2024-02-04 18:50:00

綺麗ごと

節分の夜につづった言葉が、アップされてませんでした。遅ればせながら。

 

綺麗ごと

 

優しい言葉 正しい言葉 素敵な言葉

きれいごとを並べて無理してと思う人がほとんどでしょうか

 

我の強い子でしたから思いどおりにならないことがあると大泣きしていたそうです。でも人と共にいるのが大好きで、母の実家に帰っても近所の知らない子供たちとすぐに仲良くなって実家に連れてきて遊んで皆を驚かせたり、家は下町だったので年の上下もなく遊びに来てくれて。人一倍義理人情?に厚い子供だったように思います。そう。大好きな番組は竹脇無我の清水の次郎長。そこから鬼龍院花子と呼ばれる素養が生まれたのかも知れませんね。

神様がそんな私だからと色々考えてくれたのでしょうか。様々なことを与えてくれました。小学校から大人を交えた紛争?に巻き込まれその都度辛い思い苦しい思いをしてきました。テニス部での10年はまさに我が逞しくもなりまた削られ研ぎ澄まされた時期ともいえ、その時に起こったことはその年齢では到底越えれないもので。学校上げてその対処に懸命に取り組んでくれました。人は一人では生きていけない。人の温かみを心から感じた私のこれからの人となりを決めた出来事でした。

その都度ありがたいことに、包んでくれる守ってくれる大人が友人がいてくれました。

嫌な思いをしたら、人には絶対にそういうことをしない人間になろう、助けてもらったこの暖かさを必ず辛い思いをした人に私も与えられる人間になりたいと。

どんなことがあっても汚い人と同じ場に落ちたくなかったから、時にはやせ我慢をしてきれいごとを、言っていたかもしれません。

でもその綺麗な言葉綺麗な態度は次第に自然に身に染み込んで、それが普通になってゆくのです。

他家に一人嫁ぎ子供を産み育て。子育ては思いどおりにならないことばかり。

そんななかで綺麗ごとががなんの苦もなく心から言える人に少しはなったような気がします。

まだまだ、自分でも気づかす悪い我がはびこっていると思います。ひとつひとつまっすぐに素直に向き合って進んでいけばまたひとつ綺麗にしてもらえると信じて。

まだまだ自分磨き。

ありがたいことに素敵な先輩方がおられて、そして年下のかたにも沢山と学ばされることがあり。

沢山の優しい言葉綺麗な言葉が、そしてそれが口先でなく身体からしみだしてくるようなぬきんでて素晴らしいそんな人にも出会わせていただいて。こんなご縁を頂いたことに心からありがたいと思います。

今あることに、感謝ばかり。

本当に心から身体からしみだしてくるきれいごとを、これからもいっぱいいっぱい言って行きたいと思います