日記
室礼
なかなか行けず
久方ぶりの、お稽古。
お雛様の室礼をテーマに
宗匠の荘られるお床は、何ともいつも素敵で。
もちろんお持ちになるお道具ひとつひとつが歴史もセンスも作りも素晴らしいものばかりで。
さらりと書かれた金泥のお雛様は何とも上品で。こんな絵が書が書きたいなと、ポワン。
何より、お菓子のおはこびのお稽古で。
宰相からご指摘。決してマニュアル本には書かれない些細な?ことで。でもそれが日本の心を文化のすべてを物語っていて。そのご指導された後の所作がまた、何とも柔らかく穏やかで。
そう思える心を宿しなさいと。人を思うとはこういうことなのだと。そして物言わぬ所作からその事が汲み取れる人でありたいと。
現代の合理的になりすぎた?世の中で。忙しさのなかで私も忘れかけていた思い。、
こんな些細なことがなくなっていき、見えることのみに突き進んでいくささくれた世の中になっていくのかなぁと思うと。少しでもそんな心を伝えなければとそう思う。
そう、華瓶といわれたことが。まさにこのことかと。
おもい
争い事がとてもとても嫌いだから
皆が幸せでありますようにと
変わらぬ思い
身に付く
何気にありすぎて、身に付いたものは私の持って生まれたものかと思っていました。
ある程度素養はあるかもしれません。
でも年360日あけてもくれてもテニスに集中し、一球に命かけて試合に望み。そのなかで身体も壊し鬱にもなり。
書道にいそしんでは、東京で一人日本を背負う書家の方々の中で、休んだ時間を取り戻そうと書き込んで書き込んで、精神的に追い込まれて。身体が悲鳴を上げ。
その他様々なことで鬱にもなり、最後は病院に通わねばならぬほどのところまで
ある意味そんな半生は心身共に大変な修行であったのかもしれません
子供を授からずどん底の時に、思わず手を合わせ。様々なご縁をいただき、またそこで尊い経験を体験を修行をいっぱいさせていただきました。
そんなことがあったから、今があるのかと
両親をみとり、大切な人たちがあの世に旅立たれ。そして思いもみなかった心に大きな傷を受けて生活も激変し。
少し生きることに余裕が持てた今。本当に守られ身に付けていただいていることに感謝しなければと。
どんな風に学んでいけば良いのか何を学べば良いのかもわかりませんが。日々起こることを懸命に過ごして行けば、そこからまたお助けいただけることがあるのかと。
この年になり自分を見つめ続けたられた経験をありがたく。何とかまた進んで行かなければと。そう思う
本物
臨書をしなさいと誰もが言われます
日本を背負って来た勲章もらわれるような先生方も毎日臨書に向かわれて。
皆臨書という同じことをされ、それで一人一人それぞれに個性ある書を書かれて。
それが本当の個性というものなのだと。石飛先生なんて爆発してて。でも上品で。素晴らしいのです。
変わった字を書く人も沢山にいます。でも基礎のない気にてらったような字は書家からみると一目瞭然で。その奇想天外さに興味は持たれまた刺激や参考にしたりされますが。確かにその瞬間だけなような
だからこそことさらに強く言われるのてしょうね
石飛先生のまだまだ進化し続ける書に。是非も言わさず様々に鍛練してきたその努力や試練が垣間見られ。
そう。先輩方々は石飛先生から教えられたり、誉められたりすると、見放されたと思うと言ってらした。私とは全く次元が違うのですが、でも私も個性であったある書き方を封印されてとてもつらい時期があったのですが、解禁となった今さらに個性をましていて、今思うことは、感謝でしかないのです。
そう。書が好きだから師匠を信じているから、何でもできるのでしょうね。そして感謝もわき出てくるのだと思います。そこに師匠の深い愛情があればことさらに
何千年と続いた営みのおもさも尊さもあり。
そして現代に花開く書はその上に自由で華やかで
臨書。基礎中の基礎。大切にと。人を心をも育ててくれる。楽毅論で少し気づきをいただき、また深く書に臨めるかと。
書を学ぶと言うこと心して。そしてその上にのびのびいや爆発せよと個性豊かな私だけの書をと。心して。
これは何事にも言えることのように思います