日記
影武者
影武者、いや逆影武者?
ご縁あるお寺の教祖堂の扁額のお手伝いに。
浄心殿と
前は仁王さまの居られる山門の扁額をお手伝いに。北魏の楷書や造像記風に力強い表現の額となりましたが、今回は奥さまがかかれるとのこと、またお母様の教祖堂とのことで南朝風の穏やかな行書で
お手本を何種か書かせて頂いて、今日はご指導に。
筆も慣れられているのでスムーズに進んで。
リズムの取り方や様々とアドバイスさせていただき、とても素敵なものができました。皆さんに喜んで頂き、嬉しくて安堵。もうなくなられたという高野山の大阿闍梨様の本堂の扁額と共に、影の一員として参加させていただいた扁額が末代まで飾られると言っていただき込み上げるものが。思えば祖父が宮大工で名もなき一員として名刹の建立に携わっていたと聞いていたのを思いだし。これも祖父のお導きなのかなぁと。
11月が落慶法要と。今からとても楽しみ。
華々しく作品を作って展覧会に青楓作と発表することも嬉しいことですが、また今日の様に影に回り作品の一員として名もなき参加をさせていただくことも多々。でもこういうご依頼を頂き良い作品ができるとまた違った嬉しさと感動があるのです。
ある作品展の紹介がテレビでされていたときに、席上揮毫されている脇で師匠のかたがその同じリズムで自然に身体が動かれておられるのが隅の方に映っていたのを見つけたことがあり、その時にご自身も作家活動やお仕事があるなかで、どれ程この書展のためにご尽力されてきたのだろうと胸が熱くなったのを覚えています。師とは皆そのようなものかと。そして守破離とその運命を受け入れて行くのだなぁとしみじみ思う
こちらのお寺も不思議なご縁で。またそれが様々と色んなことが次々繋がり発覚し。そしてまた色々と助けていただき。こういうことやってんねと。また今日も必然のようなご縁のお話にしみじみと。
あるべきご縁が皆良い形をなして表されていき。
嬉しいことです
能
お能を拝見
大槻裕一さんが咲くやこの花賞、大阪文化祭奨励賞を授賞され。咲くやこの花賞は若手の登竜門と言われていて、この先のご活躍も期待され、嬉しいことです
演目も素敵で養老水波之伝と葵の上、狂言は萬斎さん裕基さん親子で蝸牛
養老は本家の岐阜のお話でおめでたい内容も嬉しく。最初の静かな場面の豊かな空気のながれが心地よく、少しうとうと😓。お能に流れる周波数はゆらぎと同じで眠たくなる心地よさがあると聞いたことがあり、なるほどと、ちょっぴりと言い訳😊。でも後半の裕一君の山神の「神舞」の迫力華やかさは圧巻で。一列目の真ん中柱の特等席で見せていただいたこともあり、お面の中の息づかいまで伝わり。真っ正面にこちらに向かってこられる迫力にはもう言葉にならないほどの感動が。
芸養子となられて10年の年月を経られ、青年から抜け出たその舞のたしかさと生気活力が相まって何とも素晴らしい能楽師になられたと胸が熱くなる。
萬斎さん親子の共演は、父子ならではの温かさが伝わり何ともひょうきんで。でも同じ所作をされるその姿に萬斎さんの腰の座りと軽やかさ(いつもながらの)は裕基さんを圧倒し。さすが萬斎を、思わされました
最後は葵の上。演目は能にしても源氏物語にしてもこれぞ王道ですが。
大槻文蔵の扮する二つの六条御息所。
前半は御息所の面をつけ静かなうごきで。でもその無表情の面から何とも悲しげで羨ましげな表情が浮かび上がり、源氏物語の中に描かれた御息所のプライド源氏への愛憎、車争いでの悔しさ何もかもが思い出されて少しの動きわずかな所作で全てを表現されるその姿に、これまでの鍛練経験思索そして情熱…様々なことがどれ程にあられたのだろうと思わされる
後半は夜叉の面をつけて、恨みに狂い葵の上を呪い殺そうとするはげしい舞。重鎮福王茂十郎演じる小聖の祈祷との激しい競り合いに、この二人でなければこの表現はなされないと、何よりのものを見せていただいていることを実感させられる
今まで見たなかで群を抜いて心にささり、ご一緒していただいた方々も口々によかったと。
大人の方に混じって若い方々も沢山に。
これも次世代を担う裕一さん裕基さんの伝統文化と呼ばれるものへの情熱思い、そしてその上の精進の賜物と。
本当によい時をよいものを頂戴いたしました
お母様お友だちと
お着物素敵。次回は頑張って着ていこう🎵
…といつもおもってる
知らせ
そう、連日テレビが色々なことを知らせてくれて。
それでよいのですね
と勇気をもらう
動こう
みんな着いてきてね
朝
ただただ信
南無
母
母の命日に(すっかり忘れていたのですが)とても素敵な夢を見せてくれて。
そしたら本当にその通りになって。
やはりずっと心配して守ってくれてるのだと思え。
勘の強い人でした。何より情の深い人でした。
きっとお空の上で、どきどきはらはらしながら、たくさんのご縁あった人たちのことを見守って、あちこちととんでいってるんでしょうね。
仏さんがあんたのことみんな頼ってはる。とご縁あるお寺の方に言われたことが。
そのあと実家の本家の無縁さんの問い合わせがあったり。あちらこちらとお寺にご縁が広がり。今も様々とご縁を繋げていただいて。様々とよいご縁をいただけて。助けていただいて。
頼られるようなことは何もできていないけれど。
アトリエもはや25年。思えば募集もせず皆さんご縁あって来てくださった方ばかり。もちろん様々なご事情で途絶えたかたもおられますが。
お人によってそれぞれと不思議なご縁を感じまたびつくりするような偶然があったり。
はたまた、石飛先生などは本当にふってわいたような偶然でお繋がりができ、こんな新参ものにさらには役員までお仕事頂戴し会の運営、書のご指導とお近くにおらせて頂き。
様々な偶然ご縁に結ばれて今を勤めさせて頂いてるのだとしみじみ思う。
書の世界に居るからでしょうか、皆さん様々と経験した人ばかりだからでしょうか。私のこんな不思議な(ちっとも不思議と私は思ってないけれど)お話を、皆さんふんふんとうなづいて、興味深く聞いてくださって。
自然のなかで生きてきた日本人のDNA?を感じて、そして日本の文化や精神に対する慈しみも感じて。本当にありがたいご縁を頂いたと思う。
書の道に深く繋がって着いてきてくださる人、室礼に興味を持ってくださる人、癒しを喜んでくださる人、みなそれぞれにこの場を大切にしてくださり、この空間をそだててくださって。本当にありがたいと思う。
母も時折助けてくれながら、書を共有しながら本当に安らかな希望に満ちた晩年の道に導いてもらって、幸せなことです
これまでにここまで導いてくださった方々に感謝の気持ちしかなく。
一歩一歩と進んで参りますね
これからもお空の上から、どうぞどうぞお見守りください