日記
古代文字
若い時に子供教室をまかされ。その時に師匠から受けた教育方法は心に響き。
形を教えるだけでなく。自由に書かせることも、というかその方を優先すべきと。
古代文字を書かせていました。ある意味学校書写教育とのバランスを取って、個性創造という芽をなんとか残したいと。
今の私があるのは子供の一時期書道がいやになったことも大きく影響していて。
その事を先生にお話ししたからかどうかわかりませんが、現在博光会のテキストにも子供の古代文字のコーナーが作られ、私の教室でもその起源や表現されていることなどのお話しも読み、楽しんで取り組んでいます。
もちろん、博光先生は自我を爆発させられる天才なので、そんなことは百も承知で。
と同時に臨書の大切さを語られることの、その書き写しにとどまらない奥深い意味もようやく知れてきて
ちょうど今書いている自叙帖などは臨書といえども懐素の息づかいや空気感を感じて書き進んでいるようなもので。
そんなことを自分も経験しながら、やはり書を教える思いは間違っていなかったと思えるお話しも拝聴し。安堵と勇気が。
なくなった田舎の祖母が、戦後に母にこんこん語っていたと。アメリカさんは賢いは。武器や鉄砲なしで日本をつぶしてはる。教育を変えて人を駄目にして日本をだめにしてる と。
そんな時代に抗い、賢明にお家大事お国大事と日本を守るために生きてきたそして戦後生き残った日本人は確信をもって悲壮感に満ちて抗ってくれていたのだと。
ただの田舎の商家の人間にもその心意気はあって、そんな教えをどこかに引き継いでもらえたことに、今この時代となってことさらに深い感謝を覚える
さぁ書こう
夢
もう少し先に、出来事が、
それまでの恐れに負けずと。
今の自分を感じて、様々なことをしっかりと見つめて参ります
普遍
世の中は変化して常にかわっていくものですか?
と問うたことが
変わらぬものが大切なものでそれを求めていかなあかんと。
そう言われているんやで、とお教えいただいたことがありました
大切な変わらぬもの
私の思うものなどは浅はかなこと
どんなものかと問うてみたい
深く深く感じてみたい
父性
父性は虚構と…
はて…?
父親としての経験値はゼロなので
はて?です
お話聞いてみたいな
晴れと褻
晴れと褻(け)
といって、今どれ程の人に通じるのでしょう、
私の代でも普通にこの言葉が出る人は少なく。
船場育ちの大姑が、この頃は毎日ご馳走で毎日お祭りや。そう面白く無さそうに言っていたのを思い出して。
子供の頃はお正月に新しい下着と歯ブラシが用意されていて、日本髪を結いお正月の晴れ着を来て初詣につれていってもらいました。
行事ごとはいつもちゃんとしてくれて。
法要やお祭りはそれはお人がよって賑やかなものでした
そんな営みはその時代の当たり前だったのかも知れません。いやもっと日本の世界のはたまた人類の自然の営みであったのかもしれません
自然のなかで生きてきて、災難災いと共にあり、そのなかで生き延びていくことの恐れと感謝が様々な年中行事となり祝祭となり。そのなかで精神的なけじめができ安定となっていたような。
今は何事も苦労なく贅沢となり…,
大姑のため息も納得させられるものが。
自然の恐れが少なくなったとはいえ、越えられぬ驚異はまだまだこの世にあり。疫病も病も死も普遍に身近にあり、はたまた重労働の農作業はなくなったとはいえ、機械化が進んだ世の中で心身の重労働は加速して。
時代にも晴れと褻があって。お化粧もせずに子供を乗せて自転車で走り回り、パジャマに着替える力もなく子供と共に寝落ちしたことも多々。立って台所で食事をしたり…。
子育て終われば親の介護でまた寝るまもなく、
そんな日々を経て、少しできた時間で日本の世界の文化を楽しむこともでき。ようやく晴れも味わえる様に
様々な晴れと褻。
晴れを知らなければ本当の褻もわからず、褻も知らなければ本当の晴れもわからず
若いお母様がたに書と共に年中行事や季節の言葉もご教授させていただきながら、お人としてまた親として晴れと褻を意識していただくひとときがあればと、ことさらに思う。
日常を大切に丁寧に過ごして、そして様々と学び教わってきた晴れの時をしっかりと味わい過ごして、日本の営みをリズム?を日本人として大切にしていきたいと、そう思うのてす