日記
夢
子供の頃からの夢。
本当に現実になるのかも。見えている人にそう言われ。また違う人にもそう言われ。
本人だけが気付いてなくて。
そうなるような気がして、そうなれば良いなと思うようになってきた。
古典研究会
無事終了。
よく学びました。
蜀素帖、賀蘭汗造像記、開通褒斜堂刻石
蜀素帖は昨日ホテルで書き直して、提出。まぁまぁ表現できたかな?とドキドキして提出。
一人一人自分の臨書作品への思い工夫なども発表させられ、先生方からも講評していただくのですが、私の臨書に対する姿勢思いは先生方にも伝わっていたようで、技術的にも浮沈が良くできていて立体感動きがあって良いと。お褒め頂きました。もちろん課題も沢山にご指摘頂きました。
何より作品製作へ取り組む思いが作品に現れ、独自の自らを表現した作品に仕上がっていると。わずかに意臨の域にあるようなことも言って頂き、とても嬉しくて。
先生方の作品も沢山に拝見し。
その発せられる言葉は知識と経験の上にある、先生方の知恵と創意工夫が詰まっていて。本当に深い学びを頂きました。
私も自らの作品をまた再度見直して、さらに深みへとその先へとさらにさらに進んでいきたいと思います。そのような姿勢は何より大切だと、心からそう思えたから。
書は人なり。
この環境にあるからこそのこともあり。良き道を歩かせていただいている。
今
今。素敵な言葉が。
心にしみわたる
ゆるす
ゆるす
ゆるすということしたことないかも。
もちろん、今まで嫌なことされたこともあります。人間関係で病院通うほど鬱になったこともあります。
でも、いつも理解に変わるのです。そうなんや、そうしたくなるよね。と。私も悪かったは。と。
だからゆるすという感覚が芽生えないのです。
そう。思い出しました。
子供の頃から人に嫌なことされたら、ありがとうございますと感謝しなさいと云ってくれていました。ああ、こんなことされたらこんなに嫌な思いをするんやと、お月謝払わんでも教えてくれるありがたい人やと感謝しなさいと。そしてされて嫌なことは決して人にしたらあかん!と。
母が祖母からいつも言われたことを、その都度教えてくれました。その言葉も忘れていたけれど…,知らずに身に着いていたということなのかも知れませんね。
きっと祖母も祖母の母親からそう言われてきたのでしょうね。子供は宝。子宝や。といつも言って育ててくれました。お金なんかあっという間になくなる。せやからお金も大事やけど何より子供をしっかり育てなあかんと。子供が良ければ家も代々つづくと。お国も安泰やと。
まされる宝子にしかめやも
万葉集にも詠まれたこころ。
普遍なものとは揺るがなく。伝わっていくのですね。
理解
近づいてる気がする
何事も 本当に深い思いは様々とお助け頂いて、理解にかわっていくものなのかと。