日記
心根
心根とはやはり変わらないもので…
育った環境やお人との関わり…様々な要因でその人となりは変わっていくのかも知れませんが。
ある時から、選ばれた望まれた?環境の中でみるみる変わられて。
全く違うと思っていた人が…今は同じ様に感じられる、
ふと今の職を決められたときのきっかけと思いを語られたことを思いだし深いところの私の芯となっているおもいと同じもののように感じられて
心根ということがおなじなのかと。
思いやりや、おせっかいや、慈愛などとそんなことではなく
ご縁?自然な繋がり?を今深く感じる
とても大切なことのように思えて…ぼーっとなってる
蝶
どこからともなく…
こんな夜中に部屋を蝶が飛んで。
クーラーつけて、閉めっぱなしなのに…
何かの拍子にはいってたのでしょうね。
蝶は魂といわれることも。
また父が来てくれたのかなぁ
ありがとう
怒り
優しい。おこれへん。と良くいわれます。
でも鬼龍院花子ともいわれます。
何かあると確かに肝が座ります。
もちろんキャプテンの時はそういう場面が度々ありました。
PTAのパーティーの責任者のおり、前日が東日本大震災があり、その他にも色々アクシデントがあり。
周年パーティーの所先生の時も新幹線が止まり…。
その時々に肝がすわり、我を忘れて采配し、そのお陰で力もつき信用も信頼も得たように思います。
人に対してもああ、これではアカンと心から思ったら、がぜん肝がすわって、おこる?いやたんか?をきってしまいます。
何度かそんなことがありました。
振り返ると全てその人のためにと出た言葉でした。よかった。
その人のためにと発した言葉はたとえ間違っていたとしても、本当にありがたいと思ってもらえるようで…、嬉しいこともありました
仏の顔も三度までなどといいますが、あみださまの優しさとお不動様のような慈悲深い怒りの形相のできるような人でありたい。
そう、大河ドラマの伊達政宗に毎回お不動様が写されて。大滝ゆうじさんの「お不動様は慈悲深~い仏様じゃ」というセリフがあって。なんだか心響いて。何かにつけて真似して家族に笑いもとっていました。😣
お不動様との心の出会いはこの時だったような。
今の自分を省みると、情けない自分が多々あり。いやいやまだまだと思うこと、反省の日々。
お不動様との出会いの時の思いが、自然に、心に、宿っていてほしいものてす。
思い
同じときに、同じことを考えてた
作品
毎日展作品を。
私の作品は、関西展なので来月京セラ美術館なのですが、東京の書友の方々の作品を拝見。
素敵な作品も沢山に見せていただいて。またお久しぶりの方々とも会場でお会いして、話に花が咲き。
賞を取ることにやっきになってる方もおられるのですが、やはりそれは結果であって、良い作品?心が伝わる作品が書きたいのだなと、書に向かう心を再確認。
今日のお稽古の石飛先生のお話にも同じような思いが語られ。皆そうなんだなと。ちよっとうれし。
書いて感じる安らぎもあれば、見て感じる安らぎもあり。
死ぬまで一緒に書道したいは、といってくれるお仲間に恵まれるのも、そんな書の力のお陰かと。
書のような人となりたいものです