日記
オフ
昨日、
午前は
雁についての講義を
その後、身体のメンテ
デトックスしてもらい。少しずつまとわりついた固いうろこが剥がれたような
今日は急ぎやらねばならぬことがひたとおり終わり、突然の来客や仕事もなく。何だか久しぶりにほっこり。
朝からテレビを見たり、本を読んだり文章読み返したり。音楽聞いたり。
まりやさんのアルバムをいただいたので、ゆったりゆっくりと聞かせていただく。
気づきがいっぱい、様々と浮かぶこと、作品の構想や、これからのことも少し思い付いたり。
まりやさんは同じ世代の少し先輩で。出雲という土地で育たれあの素晴らしいお母様に育てられたことが、そして東京で自分の道をその人としての力でしっかりと歩いて来られたことが、にじみ出ているようで
若いときは音楽も姿もかわいくて、でもあまり聞き入るということはなかったのだけれど。歳を重ねた今の曲の方が心に染み入って
柔らかな日差しのなかで、CDを久方ぶりにプレイヤーで聞くという動作をして、あぁ曲聞くんだという感じになって。ジャケットも素敵で様々とその音楽についての言葉も添えられてあって、まりやさんの思いも伝わり
流れる曲、言葉、その全てに共鳴して、心に染み入って来て
沢山の沢山のフレーズが、心に響いて刻まれて、書にしたためたいと、その書の姿も浮かんできて
さらに何だか生きていくということが、何かまた違う感覚で思えて
音楽とは本当に素晴らしいとそう思う
そして、それを形としてあらわせられる書というもののその力を見せつけられたような気持ちに
これまでの歌詞や言葉を書くこととはまた違うスタンスで
そう言葉を描くというような、そんな気持ちにさせてもらう。
音楽、言葉、そして書
それぞれに力があり、心繋ぎ合えればまた新たな力が産み出されて
素晴らしいとそう思う
親友
祝賀会で、親友のスピーチ。結婚式以来です、とにこやかに。
そう、数十年前に友人代表のわずか数分のスビーチで、私の人となりを語りつくして、未だに親戚友人参加者の語り草になるほどの楽しい情ある話をしてくれました。
今回のスピーチでも。見えぬ私を語ってくれて。
結婚してからは様々な事情で会えない時期もあったけれど、しんどいなーと思ったときに、必ず連絡をくれて、会えなくてもどこか繋がってるそんな感覚があると
共にテニスに打ち込み汗し涙し、学校生活でも共にいつも居てくれていつも客観的に私を見てくれて、確かな意見をのべてくれていました。
卒業してからも公私?共に様々と頭心悩ませ、共に涙することも。
結婚してからは会えない時期もありながら、何となく気になって連絡すると、今電話しようと思ててんと。お互いにそんなことがあって。気がつけば一年以上連絡してないこともあるのに、話せば昨日のようで学生時代とおなじで。そしてどこか互いに学び成長した言葉が目があり。
そう。もうエエで。もう充分やって来た、やった。
自分の思いのままにやったらエエ。
これが今必ず出てくる二人の会話。互いに励まし合ってるのかな?
心友とも思え。こんな友を持てるのは本当にまれなことではと心からそう思う
親友がいるということがとても大切なことでまた信用になったりと思う人もあるかもしれないけれど、思春期に思い悩みたった一人悶々と自分を見つめてきた人も素晴らしいと思え。
そのなかで毎日共に居るでもなく、言葉もなくでも互いに必要なときに心から助け合えることができる心友を得られたことは、本当に自分のなかでの見えぬ財産だとそうおもうのです
母が私たちの繋がり言葉行いをその時々に見続けてきて。
あんたこの子を、一生の宝と思わなあかんで、とそう言ってくれたこと
今本当にとそう思う。
親の目とは、確かに未来を見てくれている
そして亡くなった今、より本当にそうだと思う
命題
宿命より
運命でありたい
夢は無限に広がるから
それが生きるということだから
見えぬものに身を委ね
懸命に生きる
それが
自由と言うことだから
読む
心静かにと勤め
何度も何度も読み返す
二度と間違いのないようにと願って
その言葉の向こうに感じるものを信じて
言葉
人に対する言葉はその人への言葉
現実をしっかり見つめて