日記
樟展
同窓生の作品展
恩師の先生にお誘い頂き、もう五、六年は経つのでしょうか
先輩方々は、樟蔭の一番良き時代を過ごされた方々で。何だかどこか優雅で。
でもその時代に名だたる良家に嫁がれたご友人の方々の生きられた人生をお聞きしたり、様々な教訓がそこには感じられたり。本当に考えさせられ勉強になります。
参加された先輩の、教壇に立つようにご依頼がきた時の話に。何だか心がほっとして。
私せっかくのお話やったのによくよく考えて悩んでやっぱり、朝起きれませんて言うてお断りしたの、と。
何とも和やかなと思っていたら。
いつも朝きっちり15分遅刻されていたと。でも遅刻したからその分残ってお裁縫も、お勉強もきっちりして帰ったと。
先生はそういうわけにはいかないでしょ、と。だからよくよく考えて私は無理だと思ってと、ゆっくり穏やかな口調でおっしゃられて。
団塊の世代真っ只中。そんな風情は微塵も感じられないほんわかな。でも責任を果たせないとよくよく考えて決断された強さが感じられて。
樟蔭創設の女子教育の理念が、まさに貫かれていて
何だか嬉しくて。素晴らしくて。
先輩田辺聖子さんもしかり。
搬出の時、先輩のお手伝いをしていたら、画廊のオーナー先輩にお声がけ頂いて。
ありがとうな、年よりのお世話してもらって、
あんた徳積んでるで。
と。
こちらもまた素晴らしい先輩。
やっぱり、縁とは導かれるものなのだなと
様々なことからもそう思わされる
決心
そう
いつもこれが最後かもと心のそこから語っている
一言一言を一瞬一瞬を
大切に
お寺
YouTubeでお寺の話を聞く
その話のすべてがこれまで思い描いていることと寸分変わらず語られていて驚きでいっぱい
浄土真宗で育ち浄土宗の家に嫁ぎ、敬虔な仏教信者であった母、姑に信心ということを身に付けてもらい
心痛めたことでそれはさらに深くそして昇華されていき、出会いによってさらに深く知るところとなり。
そして長い一人の時間に確実なものとなり
生きておられるかのような法然上人のお像の前でハッと気付いたことは、学ばんでもええといわれたことそして大切な大好きな今は亡き方が夢で語ってくれたことと結び付き。子供の頃からどこかにあった夢を思いだし。
素直な清らかな思いがけない出会いはやはり意味があり出会わせていただいたのだと。
今深く深くそう思う
いつか語りたいと思っていたことは、すでに通じていることを教えてもらい。この年月は無駄でなかったと、そしてどこかためされ修行のような日々であったようにも思える
沢山の良いご縁をいただき、すべての人に助けられ導かれしめしていただいて、ああ間違ってないんだと深くそう思い深く感謝の気持ちがあふれでる
再会の日に見た両親の満面の笑み
様々なお導き
汚してはいけません
清らかにその導きを歩んで行くことがご恩返しと
そう思います
今また深く描いているその先の大きな夢を語る時が必ず来るとそう信じて
その時を静かに待っています
お経
一人で過ごしていたら
一人のお坊さんがこられて
お経を、読まれました
心に染みるお経で心があらわれ、はしめての経験でした
読まれた後美しい所作で拝礼され、思わず倣い拝礼させていたいただきました
とても清らかな素直なお経としりました
心にふと宿った気持ちは、円融無礙とありたい思いは清らかであったと教えてもらいました
亡き大切な方にはじめていわれたこと、生駒のお方にいつも言われていたこと、そうだったのかと10年の年月を経てようやく納得
理屈は後からついてくる
勉強せんでもええといわれたこと
本当の教えを今いただいている
心から感謝
雲
空を見上げれば
この上ないお空が
爽やかで綺麗
秋の澄んだ風に吹かれながら、願いを込めて手を合わす
変化の時を迎え、運気は上っていき
今進む道は間違いなく、
様々と力をもらい応援され
天からのパワーが最強に強くいただけていると
だからこそ、今見えるものをじっくりと見定めてさらに確かなものへと
しっかりと自分の中を周りの景色を、澄んだ目で見つめてみます