日記
語り
大切な時々に有難い言葉をいただいてきました
その度に心が温かくなり、勇気がわいて、そして癒されて。
そんな出会いがあり、共に歩めた年月に。
心より感謝。
これからもどうぞよろしくと、心から思う朝。
正しいこと
ふと思い出したことが。
三回もテニス部でキャプテンをしてきたので10年の間の3年間。毎日部長訓辞を練習前と後にしてきました。
皆を一つにさせてグイグイ引っ張って行く。そんなスポーツ界の伝統?かもしれません。
三回もキャプテンをしたお陰で、その時々の疑問や失敗は様々と経験値として身体に染み込んでいたからか、大学のキャプテンの時、皆の目を見てこれじゃあかんと思ったことがありました。
キャプテンの言葉に引っ張られていくことに何の疑問もなく慣れきってしまっているのです。
ある大事な試合の前に、訓辞を輪番制にし、練習のスタートとラストの掛け声も任せました。
そんなことしたキャプテンは今だかつてなく、監督さんにも、驚かれましたが、少し笑ってお前らしいは。と
毎日個性ある訓辞が述べられました。監督さんには大きな試合に向かって一つになれるのか、道に外れないかと心配もされたでしょう。
でも本当の意味で正しいものであれば、惰性でもなく何十人が何も考えず心に身体に染み渡りその言葉の通りに心のそこから素直に動けるのです。そしてその力は数の力を越え。はるか大きくなって。
そんな訓辞は私も年に何回あるかないか。その他日々繰り返される訓辞は誘導くらいのものだったのだと。今になって思います。
たった一回の渾身の自分の経験値から発せられる訓辞は、その人となりと重なって。それをきいている選手達からは今までの大きな反射的に行われるはい!という返事ではなく。オーという心のそこから聞こえる納得の声が自然と涌き出て。
府に堕ちる、納得するとはいかなるものかと。
本当にキャプテンをこえ、人として様々と学ばせていただけました。
この経験はテニスをしてきて戦績やキャプテン実績などと言うものには比べ物にならない、私の大きな宝になっていて。
人というものはすぐには変われるものでなく何十年もかかりそしてまだまだこれからですが、生きざまを変えてくれた大きな経験の一つになっています
音沙汰
私の作品に関する間違いがあり、とても悲しいことがありました
すぐにその事を伝えたのですが、いまだに音沙汰無し
そういうときにその人というものが垣間見られたりするのかもしれません
いや、まだ検討中なのかも
私も感情的に狭量となって今まで積み上げてきた信用と言うものを台無しにしてはなりませんね。
あんたはお人好しすぎる、エエようにされたらあかんよと、よく母が心配してくれていました。…がそれでいいのだと思って生きているようです。そこは母に反発ですね😊
天に吐いた唾は必ず己にかえってくると。皆自分のそれなりの人生しか歩めないのですから。
一度、母に相談したとき、もうあんたは私を越えた。と言ってもらったことがあります。そんなこといわれるとおもってなかったので、ビックリしましたが。
様々な経験値と導いてくれる方とのご縁と言うものは母より多かったかもしれません
ただそれだけ。
私も知ってか知らずか必ず天に逆らい生きてきています。だから少しでもわかるところだけでもよき方へとと気をつけています。
あなたの代々の心の伝承のお陰です。だから両親はご先祖はありがたくいつまでも越えられません。
多分、今も心配してくれてるよね。大丈夫。大丈夫。
しんどいこと
すっかり治らずにバタバタしたからでしょうか
再び体調不良
よく体調を崩すようになり、情けないことです
熱もないのに体がだるく鼻風邪のようです。
体力も減少してるのでしょうが、子育て中は身体の辛さを感じる間もなかったのでしょうね
先日、幼稚園ママのお稽古の時に三人の男の子を育てるおかあさんと会話になり、わかるわぁとお返事したら明るく涙出る~と言いながらポロポロっと涙を流されて…。
前園長先生が常に、子育ては自分育て、何よりの学びですといつも言っておられ、その言葉を心に様々乗り越えてきたようにおもいます。
確かに。これ程滅私奉公する事は他にはなく。親になるから辛抱を学べるんやと言っていた母の言葉も思い出されます。
時代も変わり、子育ても変わっていくのでしょうが、萬葉歌にあるごとく、子を思う気持ちはどんな時代も変わらないものなのだなぁと、来られるお母様がたを見ても安堵させられます。
綺麗な心に触れさせてもらえて、感謝です
ありがとう
思い
何事でも、思いを寄せる とは己の心の中で温め育む…そのようなものだと思うのです