日記
上品
子供の頃から、回りに素敵な明治生まれの先生方がおられたからか、その時の時代への反発だったのか、上品でありたいと思っていました。
実は正義感の強いガキ大将で卑屈な男の子を泣かしてしまうような、女ながらにお祭り好きで、盆踊りで一晩中太鼓を叩いていたような人でしたが…。
今までを振り返ると、その言葉をファッションや人との関わり、書の表現、何かにつけて発していたように思います。心のどこかに憧れであった大人の女性像でしたが…生きる道しるべになっていたような。
ある時仏様の世界にも上品と下品があることを知り、また今上品という素晴らしい考え方も知り、上品という思いに深さを増していただきました。
子供の頃からの思いは遥か広いものであったのだと、そんな人になれるかどうかわかりませんが、漠然と何十年も憧れてきたものは間違いなかったのだと。
理屈はあとからついてくる。
と共に、歩んできた思いに、これからの道にたしかさを感じ。そんな人になりたいと。あとわずかですが…。積み上げてきたものを大切に。
精進
茶道
茶道大宗匠の言葉を。
伝統と伝承について。
忘れていたこと、新しいこと、様々と思いが巡り。
御歳90を越え。
経験とは重いものと…そしてその事を深く思索されて。
気付きをいただきました。
あゆみ
心の中の灯火は変わらず…。いつまでも。
語り
大切な時々に有難い言葉をいただいてきました
その度に心が温かくなり、勇気がわいて、そして癒されて。
そんな出会いがあり、共に歩めた年月に。
心より感謝。
これからもどうぞよろしくと、心から思う朝。
正しいこと
ふと思い出したことが。
三回もテニス部でキャプテンをしてきたので10年の間の3年間。毎日部長訓辞を練習前と後にしてきました。
皆を一つにさせてグイグイ引っ張って行く。そんなスポーツ界の伝統?かもしれません。
三回もキャプテンをしたお陰で、その時々の疑問や失敗は様々と経験値として身体に染み込んでいたからか、大学のキャプテンの時、皆の目を見てこれじゃあかんと思ったことがありました。
キャプテンの言葉に引っ張られていくことに何の疑問もなく慣れきってしまっているのです。
ある大事な試合の前に、訓辞を輪番制にし、練習のスタートとラストの掛け声も任せました。
そんなことしたキャプテンは今だかつてなく、監督さんにも、驚かれましたが、少し笑ってお前らしいは。と
毎日個性ある訓辞が述べられました。監督さんには大きな試合に向かって一つになれるのか、道に外れないかと心配もされたでしょう。
でも本当の意味で正しいものであれば、惰性でもなく何十人が何も考えず心に身体に染み渡りその言葉の通りに心のそこから素直に動けるのです。そしてその力は数の力を越え。はるか大きくなって。
そんな訓辞は私も年に何回あるかないか。その他日々繰り返される訓辞は誘導くらいのものだったのだと。今になって思います。
たった一回の渾身の自分の経験値から発せられる訓辞は、その人となりと重なって。それをきいている選手達からは今までの大きな反射的に行われるはい!という返事ではなく。オーという心のそこから聞こえる納得の声が自然と涌き出て。
府に堕ちる、納得するとはいかなるものかと。
本当にキャプテンをこえ、人として様々と学ばせていただけました。
この経験はテニスをしてきて戦績やキャプテン実績などと言うものには比べ物にならない、私の大きな宝になっていて。
人というものはすぐには変われるものでなく何十年もかかりそしてまだまだこれからですが、生きざまを変えてくれた大きな経験の一つになっています