日記
ながれ
流も、匂いも、見えないものも、少しは敏感な方だとおもいます。
だから言葉が出るのかも
言葉
感動する言葉に出会いました
ほわっとして、そしてゆっくりと涙が流れました
そんな書を書けたらいいな
今を一生懸命に生きるの。
早朝、何気にテレビから寂聴さん。
あの人に会いたい…だったかな?😅 故人のアーカイブの番組かと。偶然以前炭山南木先生を拝見したことも。
お話を聞きながら、源氏物語への思い、生き方、人への思い…。僭越ながらシンクロすることが。そしてお聞きしながら全く今までの思いと違う思いが。
実はあまり好きなタイプではありませんでした。でも今この瞬間に、とてつもなく真面目でとてつもなく常識的な方なんだと思いが。
今を一生懸命に生きるの。精一杯に生きるの。
尼さんにしては張ったお声で背中を支えるように語られる言葉。
誰もが語る言葉に、また別の思いが様々と心に加わる。
やはり何もかも全身全霊で挑みたい。がむしゃらではなく。そしてその先に憧れの円融無礙があるのかと。
頑張ろう。
良いとこ
我の強い子でしたから、嫌いな友達いやな子もいました。でも成長するにつけ、嫌いと思うこともなくなっていきました。
母の言葉の積み重ねのおかげかと。
人は神や仏やないのだから、みな悪いとこがある。悪いとこ見るんやなしに、エエとこ見てお付き合いさせてもらいなさい…と。
その言葉のお陰で様々なお役をいただき、勤めさせていただけたのかと。
この年になっても、なるからこそ?様々いろんな方々から戴いてきた言葉を反芻せねばと。
ふー。至りません
川の流れのように
母から言われた言葉。川の流れのように親から受けた恩は下へ下へ流したらええ。親に帰さんでもええと。
子供や孫に、回りの人に、川の流れのように下へ下へとかえしなさいと。
母が祖母から教えられた言葉、そして私に懸命にいつも伝えてくれました
法話に同じことが書かれていました。
昔の暮らしのなかで、町の神社お寺のお説教やお話をききながら、生きていく道しるべとして心に刻み、子へ伝え、孫に伝わり、回りの人と助け合い。
ほんの少し前の母の生きた時代の話です。
わずかの間にSNSが浸透し、今だからこそ余計に、そんなアナログの深さと果てしない広がりを深く思う。
声で話すこと、肉筆でお手紙を書くことって、少なくなりました。あかんね。
親からの恩は川の流れのように息子に返せているのでしょうか