日記
飢餓
飢餓を埋める事が優先であれば。
さらにもっと飢餓を埋める手だてを持っている人がいたとしたら、どうなるんだろう
旅
あゆみの道に気づかず共にいてくれた
今その事に気づいて
感謝
進む
進もうとしています
でも。
妄想の先に進むのであれば、それはとんでもない大きな間違いとなるのかと。
しっかりと見なければなりません。しっかり聞かなければなりません。しっかり会話をし感じなければなりません。
そこから進まなければ
逃避
その場からさるのではなく
その場から進む
いつも何でもそうありたいと思っています
自分の夢がそこにないのであればそこに居場所はなく。またそこにとどまることでさわりになってはいけないと。
もしその最中で何かの支えになれたのなら、何かの目標になれたのなら、そしてそう思ってきたから、
そうであればせめてものしあわせ
勝負
勝つとか負けるとか
そんな感覚はとおの昔に何処かへ行って
学生時代は勝負の世界にいました
でも勝ち負けがはっきり出るというのは、ある意味自分のいたらなさと相手の強さをみとめられて、相手へのリスペクトにも繋がり、また潔さというものも身につけられ。
だからでしょうか、今も関西学連の仲間と戦友のようにお付き合いが繋がっています
あの人に勝ちたいとか何がなんでもどんなことにも一番になりたいなんていう感覚は、あまり思ったことがなく…
人に負けるなではなく、人に負けても自分に負けるなと、教えていただきながら、この苦しい練習苦しい思いに負けずに自分に負けずに頑張った先にあるものが結果だと。そう思いながら勝負の世界に育ったから、染み付いている。結果は勝ち負けではないのです
いつか勝つとか負けるとかは価値観の中から失せていき、子供を授かってからはよりなくなっていったような気がします
書道の世界は白黒はっきりした勝負ではなく、だからより相手をりリスペクトする心が目が和を保つ心が育まれ、また博光先生はそんな風に弟子を育てられだからこそ一代であれだけの会を築かれてこられたのだなぁと。
ライバルも大切。でも人に勝ちたいと思う心は様々な弊害を生むような気がします。
ライバルをあたえて互いに競わせれば育てるほうは楽てすが、その中では本当の強さは育たない。
その事がわかっているから、あえて勝負を挑まれてもそこには絶対に近づかないのだと思います。
自分を保ちながら、動じず。自分に負けずに。そして人を思い。人に添い。
そんな理想を掲げて、一生を歩んでいきたいのです
そう。ずいぶん前に、理想がとても高いからそんな人を探し求めてるとそう言われていた方がおられました。その日から知らずに自分なりの理想や崇高な人への憧れが生まれたのかもしれません。
それも私にとって大切な言霊
心に響くとは、何よりも成長
心から感謝