日記
利他
何が利他なのか…
やはり再度考える
宗匠
祇園さんのお話で
ご神体のお話をしてくださいました
本殿からお祭りのために、お神輿にご神体を遷される儀式があると
お神輿にご神体が移られたあと、軽々と上がっていたお神輿がとてつもなく重くなると。
その時、それはそれはありがたいと感じるものだと。
それを聞いていた、私を含めて皆さんが、ほーっと素晴らしいことを聞いたと言う表情とため息が発せられて。
今の時代には不思議な人たちなのでしょうか?
茶道や香道に通じて、様々と日本文化を楽しまれ。それは造詣の深い方々ばかり。
神さん仏さんというスタンスで敬い畏れ感謝をし。
宗教、スピリチュアルなどという現代的な枠組みではなく、日本の文化生活の営みのなかで古代から受け継がれてきた、DNA?のようなもので。
でも家や家族制度、地域社会の崩壊で、とてつもないスピードでそんな感覚は受け継がれる機会を失い。きっともうすでにわかる人とわからない人、受け入れられる人と受け入れられない人は二分されているようにも感じる。
であれば今の若い世代に、確かにわかる大人が正しく学び感じて伝えていかなければならないのではと。
三つ子の魂百までと、
幼い頃から若いうちから身体に染み込んだものは心根となり、だからこそ素晴らしいものを心根にもってほしいと思うのです
そして大人となった私たち世代は、戦前の教育を受けてきた親に育てられた最後の世代で。そう思うと様々な行いをもって、心して参らねばと
そう思う
年月
長い年月に、様々と経験を重ね、すっかり変わっているのに。
過去の亡霊にどこかとりつかれて。どこかに怖さを抱えて。見て見ぬふりをしているのでは?と。
様々と経験してきた思いは、たどり着いた今は
それぞれに大切にしてきたものであり。これから求める同じ道であるような。
であるならば
一日一日がもったいないことです
できることから先に進んだほうが良いのかも
後に着いてきてくれるのは、誰なのだろう
祈り
祇園会
ご用で京都へ
帰りに八坂さんにお参りに。
まだ鉾はたってはいないもののお祭り気分は上々で。夏を感じさせて頂きました。
昨日の宗匠のお話が祇園祭だったのでタイムリー。
何度か室礼のお稽古でご教授いただいたこともあり。またサロンのお稽古のおりにもお話させていただいたこともあり、それなりに祇園祭のことは理解してはいるものの、毎回違うお飾りと宗匠の見識の深さに脱帽させられてばかり。
幼稚園ママたちのおけいこでも、6月は夏越祓いのお話をさせていただきその時に少し祇園祭のこともふれさせて頂き。
日本人の大切にしてきた営みの奥にある大切なことを感じ取っていただけたらと、書のお稽古と共に語らせていただいています。
茅の輪くぐり、お子さんたちと行ってみてねとお声がけすると、先生のおはなしがいつも楽しみで、子供たちに話してあげてますと、夏越祓いも行ってみますと。キラキラ輝く目をして言ってくださることに、嬉しさと安堵を感じる
何も子供の頃から訳もわからず、母がいつもしてくれた、神事や仏事そして行事ごと。それは楽しみが少なかった時代の晴れの嬉しい日でもあったのだけれど。今となってはその事がどれ程人の心の育成に大切なことだったのかと、今さらにいや今になってありがたいと思う。
この大切なことを、少しでも伝えていけたらと。そう思えてならない
一時俗世を離れ、書に集中し自分を取り戻せますとなみだをためてお話をしてくださり。先生のお話を聞いて室礼を拝見し季節のお菓子を戴いて心がリセットされますと静かに語っていただいて。
日常の中でのほんの少しの晴れの時間を25年絶えずしてこれたことに、ああこれで良かったのだと込み上げる
昨晩
お話を聞かせていただきました
昔の感覚が思い出され。この十年の変化も感じて。
語られたお話は尊くて。柔らかく澄んだ気持ちとなり心地よく
良い眠りから目覚めて爽やかな朝