日記

2025-03-28 08:29:00

いまここ

そうなんや

 

ごめんなさい

2025-03-28 02:52:00

さまざま

様々なことシンクロ

 

やっぱり

深い縁があるというように思え

 

 

 

 

 

 

 

2025-03-23 14:26:00

オフ

昨日、

午前は

雁についての講義を

 

その後、身体のメンテ

デトックスしてもらい。少しずつまとわりついた固いうろこが剥がれたような

 

今日は急ぎやらねばならぬことがひたとおり終わり、突然の来客や仕事もなく。何だか久しぶりにほっこり。

 

朝からテレビを見たり、本を読んだり文章読み返したり。音楽聞いたり。

まりやさんのアルバムをいただいたので、ゆったりゆっくりと聞かせていただく。

気づきがいっぱい、様々と浮かぶこと、作品の構想や、これからのことも少し思い付いたり。

まりやさんは同じ世代の少し先輩で。出雲という土地で育たれあの素晴らしいお母様に育てられたことが、そして東京で自分の道をその人としての力でしっかりと歩いて来られたことが、にじみ出ているようで

若いときは音楽も姿もかわいくて、でもあまり聞き入るということはなかったのだけれど。歳を重ねた今の曲の方が心に染み入って

 

柔らかな日差しのなかで、CDを久方ぶりにプレイヤーで聞くという動作をして、あぁ曲聞くんだという感じになって。ジャケットも素敵で様々とその音楽についての言葉も添えられてあって、まりやさんの思いも伝わり

流れる曲、言葉、その全てに共鳴して、心に染み入って来て

沢山の沢山のフレーズが、心に響いて刻まれて、書にしたためたいと、その書の姿も浮かんできて

さらに何だか生きていくということが、何かまた違う感覚で思えて

 

音楽とは本当に素晴らしいとそう思う

そして、それを形としてあらわせられる書というもののその力を見せつけられたような気持ちに

これまでの歌詞や言葉を書くこととはまた違うスタンスで

そう言葉を描くというような、そんな気持ちにさせてもらう。

 

音楽、言葉、そして書

それぞれに力があり、心繋ぎ合えればまた新たな力が産み出されて

素晴らしいとそう思う

2025-03-22 08:08:00

母は、山猿?のように野山を駆け回って、育ち。

そう、そのお陰か足も早くて陸上部で、県でトップクラスだったと。

環境とは恐ろしいもので

 

大阪生まれの私も生まれた頃から岐阜に行き、大好きな山の暮らしは大阪に帰りたくないと駄々をこねたほど

いつも山は心にあって、山の緑の空気は身体を優しく元気にしてくれて、遠足に行っては山の緑の匂いがするー!とうきうきしていました

育ちとはやはりあるもので

山を見ると安心し畏れも感じ支えてくれる

子宝に恵まれぬ何年もの苦しみのなか、たまたま詣ったお寺は役行者の修行の始まりのお寺でお母様と共に修行に励まれた場所。ここから女が立ち入れぬ大峯の修行に行く役小角を見送られ無事を祈られたと。これも生駒の山にあり。

無事子宝にも恵まれて。

いま、東京に行くおりも、お盆お正月と帰った関ケ原の伊吹山を見ると心が動き、富士山を見ては日本人の血が感じられ。やはり山は私に力を与えてくれると、今またしみじみ思う

 

今、再びの偶然とご縁をいただいて、二つのお山にまた行くことになり。

大切な人も、山に今導かれていると聞き、

 

山の力に身を委ねようと、あらためてそう思う

 

 

 

2025-03-21 20:01:00

ミロ

他会派の展覧会をみて、

 

その後ミロ展を

ミロは圧巻。

好きな絵画だったけれどより深く感じ入る。やはり実際に本物に触れないと本当の感動は起こらない。ポスターやポストカードでお馴染みだったけれど、やはり実際に見るのは全く違って。ミロの生涯も知り、人となりを感じた後の、その肉筆の作品は迫るものがあり。これがミロなのだと。

ヨーロッパ近代美術は日本の影響を受けているというのは、有名すぎる周知のことだけれど。

ミロもしかり。

先日六本木のミッドタウンでエミール・ガレ展を見たのだけれど、やはり日本の影響下にある作品が数多くあり。初期の影響下にある作品と、晩年の作品を見るに、影響とはこういうことかとも感じられ。

でもミロはまたそれとは違い。

書や禅にも傾倒していたことからも日本のミロの内面への影響をも感じられる。

仙厓和尚の書いた作品を元に書かれたものは、ミロ独特の精神性を表していて。

花火の連作はまさに日本の書とも見える

ミロはトランスに入って書くこともあったと。洋画に書の集中まさにトランスから生まれる一瞬の線の美しさはないと思っていたのだけれど。ミロの絵にはそれがあり。手が呼吸すると言ったミロの言葉が響き、書とまさしく同じものを感じる

 

90才まで現役を通したミロの晩年の作品を見るに、

ミロのいうところの精神性とはということも問われているような

ミロの言葉にある、3000年たった人がこの絵を見て何を感じるか、と問いかけ、精神の扉を開いたと語ったミロの心のなかは計り知れない

 

良い展覧会を見させていただけて

沢山の気づきがあり

良い1日