日記
待つ
目ざめとともに偶然出会ったことば
今の心と全くシンクロ
大きな気付き
間違ってなかった
やはり理屈はあとからついてくる
ひとつの想像が形となったとき、そのさきのまた新たな道をいただけて。
なんと自由な
果てなく
新年
ある不思議なありがたい出来事のあと。
両親が来てくれた満面の笑み忘れず。
沢山の沢山の勇気とお導きを心からありがたくと。
時を待つ。
チームワーク
記念誌。
言葉通りに、記念となれば。今の私をとどめたいと。そういう思いで作ったのだけれど。それはそれはそれだけでも私にとってはパンパンな出来事で。作品を言葉を通じて今の私が伝わればありがたいと、懸命に作りました。
たまに現れる大阪の生徒は。皆それぞれの印象、想像、思いなどで偶像ができていたのかも。
何かお人のなかでの違和感を覚えることもあったのですが、それは作業に追われる数時間の滞在では語ることもできず、そのままになっていました。
十年以上の年月がたち、そのなかでの私の言葉や行動はわずかながらも私を見てもらって。少しずつ通じていると思えることもあったり。
この記念誌を通じて皆が持ってくださっていたご自分のなかでの私の像が整理されたような?感覚があり。お互いに語り合うことで私も整理され。
本当に素直に動けるようになったような
話さずともわかり合える人もあれば、話さねばわかりあえない人もあるのであって、そんな方がほとんどかと。もちろんこの記念誌でよりわかりあえなかったり遠くになる方もおられるかもしれません
でも融け合えたことは確かなことで
作った当初はそんなことをおもってもみなくて、
その感覚をいただけた今、本当にありがたいと思う
のらりくらりはなかなか変わりませんが、より深くより広くより温かく勤めて参りたいと思います
どうぞこれからもますます融け合って行けますように
末永くよろしくお願い申し上げます
親友
祝賀会で、親友のスピーチ。結婚式以来です、とにこやかに。
そう、数十年前に友人代表のわずか数分のスビーチで、私の人となりを語りつくして、未だに親戚友人参加者の語り草になるほどの楽しい情ある話をしてくれました。
今回のスピーチでも。見えぬ私を語ってくれて。
結婚してからは様々な事情で会えない時期もあったけれど、しんどいなーと思ったときに、必ず連絡をくれて、会えなくてもどこか繋がってるそんな感覚があると
共にテニスに打ち込み汗し涙し、学校生活でも共にいつも居てくれていつも客観的に私を見てくれて、確かな意見をのべてくれていました。
卒業してからも公私?共に様々と頭心悩ませ、共に涙することも。
結婚してからは会えない時期もありながら、何となく気になって連絡すると、今電話しようと思ててんと。お互いにそんなことがあって。気がつけば一年以上連絡してないこともあるのに、話せば昨日のようで学生時代とおなじで。そしてどこか互いに学び成長した言葉が目があり。
そう。もうエエで。もう充分やって来た、やった。
自分の思いのままにやったらエエ。
これが今必ず出てくる二人の会話。互いに励まし合ってるのかな?
心友とも思え。こんな友を持てるのは本当にまれなことではと心からそう思う
親友がいるということがとても大切なことでまた信用になったりと思う人もあるかもしれないけれど、思春期に思い悩みたった一人悶々と自分を見つめてきた人も素晴らしいと思え。
そのなかで毎日共に居るでもなく、言葉もなくでも互いに必要なときに心から助け合えることができる心友を得られたことは、本当に自分のなかでの見えぬ財産だとそうおもうのです
母が私たちの繋がり言葉行いをその時々に見続けてきて。
あんたこの子を、一生の宝と思わなあかんで、とそう言ってくれたこと
今本当にとそう思う。
親の目とは、確かに未来を見てくれている
そして亡くなった今、より本当にそうだと思う
今
今起こったことに気付き
自分の意志で人生の波に抗うことも
大切な学び