日記
終わり
終わったのだ、と思ったことが終わってなかったのかもしれません
心
ずっと心の奥ふかくにあるもの
素直に見つめてみる
支え
意志の後ろにはある思いがありました
だから揺らがず、進めたのかも
12月のとある日に心から涌き出た思い。
その道へ進ませていただいている
文化
ものの考え方、捉え方、感覚、話をお聞きすれば身体かほてる程に感銘をうける。感性が呼応してるというか。
難しいことはわかりませんが、日本文化と宗教性というものは、切っても切れない、というか、宗教からうまれてきたものばがりかと。そう。様々なものが絡み合い。真言と浄土の祈りのなかに同じものが通っているというものもなんとなくわかるような気がして。
やはり、夢見たものは、そして夢から気づかせてもらい感じたことはまちがいなかったのかなと。
そして長らく自分のなかで悩んでいたことも振り切れて
夢、夢と不思議な人と思われるでしょうね。でもね。謙虚になって様々な夢を省みてみると、その時に様々と教えてくれたり勇気づけてくれたり、消えていく夢があったり、何年も何年も忘れられない夢があったり、特に特別な夢はなんとも言えずありがたく。本当にありがたいと思うことがいっぱいなのです。
だから、これからも文化や教えとともに大切にしたいと思います
行間
行間を読むのは、読み手のこころ。
その文章をどう読むかは、人によって違って。
書き手の思いとはまた別となり。
そして、読み手がどう読みどう感じるかで、そのときの読み手の心がわかります。
俳人の方が、作品が手から離れたら、読み手のかたの好きに読んで頂いてよいのだとおっしゃっていました。
そこまでの境地にいたらなくて、言葉にしても作品にしても、涌き出た素直な心をわかってほしいと思ってしまいます
でも、究極は書き手の心と読み手の心が溶け合って、書き手や読み手の感覚を肥えたものが醸し出されるような。そんなことが起きたらミラクルだと。言葉でも作品でもそんなことが起こってほしいものです