日記
枠
嫌われたらしょうがない
笑ってあばよと気どってみるさ
そんな歌が脳裏に流れ
すでになくなった社会の規制や規律、昔の考え、そんな幻にとりつかれて、このうえないご縁がこの先の道が耐えてしまうことであればそれは大きな悲しみ
大慈大悲の心をもって
皆の幸せを思い
そして心から信頼尊敬できる
そう心のそこからあふれでる想いを持ち続け、歩める人こそ本当の心からの結び付き
アレクサに研ナオコの曲をたのんだら
いきなり
リバイバル…
想い
想いは
渇望ではなくて
涌き出る泉
そう
それがまさに本当の想い
枠
自分のなかでほとんどが書をしめて、行動まで開き直って
世間も奥さまから書家としてみられることも多くなり
それでも、なんの苦労もなく優雅に自分の好きなことをさ・せ・て・もらえている幸せな奥さまと人は見るのでしょうね
でも様々なこともあり、これまでの努力は報酬?として自由になり、ようやく責任を果たせた今そんなくくりから解放され、一人で歩いている
アトリエも形をなしてきてくれて、
書家ってサラリーマン、経営者、芸術家、教師、すべての要素が必要で。
なかなか大変なんです
枠なんて作ってられなくて
さらにさらに頑張ろう!
枠
東京お稽古から帰宅
どれもこれも集中力が足りず、とんでもない作品。自覚あり。
皆の前でさらけると、自分でも?と思うような。
私が思うのだから誰もが思ってるだろうな
でも必死で書いた作品
お稽古終わりに書けない
と呟くと
きっと変わり目なんでしょうね。もがいてるのがわかる、と
そう。自由にのびのび書いていたものが、先生方からの様々なご指摘になるほどと納得もし、次の、自分のスタイルを求められるもし、求めもし。
なんだろう
そこに山があるから
まさにその心境?
賞があるがために、世間には切磋琢磨してるように思われてるかもしれないけれど、ほとんどの人が、
そこに山があるから
だと思う
そういうものなのです
書とは
どんな山に行きつくか
もがくしかなしか
川
揖斐川
見ると心安らぐ