日記
月夜
活字
活字の言葉が社会を席巻していくなか。
人は発せられた色んな言葉に、この上なく幸せを感じ、また思い悩み、まだ見ぬ世論の言葉に怯えたり。
妄想からとても悲しい思いをした事で、活字を読みとる勇気を失せてしまい、ましてや新しいことには恐ろしくて手がだせません。
空想にふりまわされること無く、現実をみつめ。
だから…ただただ心を静かにと勤め。
禅定と。
よきお導きのままに、凛として歩める時のために。
そんなときが来ると信じて。
今あることをただただ懸命に。
あゆみ
これ!と決めて歩んできた事ってあったのかなぁ
その時を一生懸命には(私なりには)いきてきたかと。
幼い頃は親の思いで様々なことを経験させてもらいました。それが人生や人としての基盤にもなり。
そのあと巡り会うものに添っていたら、その道を極める道につながることになり。
そしていつもご縁いただいた方々に助けられ導かれ。思いもよらない事を成し遂げられたり。
自分でやるぞなどど意志決定したことはなく、回りに固められていった?ようなあゆみ。それがあゆみと言えるのかどうかですが…。
思いもせず、様々とお教え頂くありがたいときをいただくこととなったり。
私の道が見えるとでも言える様々な人たちに巡り会うというような生き方を与えられているのかもしれません。
人のあゆみもそれぞれ。
それぞれの道をあゆみながら、思いもかけずめぐり逢い、何の違和感もなく、努力もなく解け合え、ただ側に居たいと。そんな本当に巡り会うべき巡り会わせていただいた人を心より大切にしたいと思います
別れ
一昨年亡くなった京都の先輩の遺作展に。
お写真と作品を見たとたんに、ああこの世にはおられないのだたと、はじめて実感。込めあげ。
明澄さんと共に仲良くしていただいた方の急な訃報をお聞きしそのあとお通夜へ。同い年で…。
お二人とも若くして、残念なことです
東京の錬成会で京都で様々と教えて頂き、明澄さんはいつも私の人となりや書の事の率直な意見を言ってくれて、成宮さんはいつも紳士で、優しくして頂きました。
大姑と重なり。その事を言うとこの子おばあちゃんて言うねん!と怒りながら嬉しそうにしてくれました。
病の事もわかってからお逢いした時の言葉が、最後の言葉になりました。ほんとにそうですね。その言葉忘れません
夢
今朝。
久方ぶりに父母の夢を。子供の頃から事務所に来ていた父の後輩のおじさまも。
おじさまも会社経営と共に福祉のお仕事もされ、私もとても可愛がっていただきました。
夢の中でも相変わらずお人のためにバタバタと動いてて…。
色々と騙ってくれました。
心配してくれてありがとう。