日記
お正月
お正月は一年で一番日本を感じる時ではないでしょうか。
年明けと共に、テレビからも除夜の鐘が聞こえて。様々な場所からお寺の祈りの姿が写し出され。
日の出のありがたい映像まで見ることができて。思わずテレビに向かって何度も何度も手を合わしています。
日本中の人たちが、新たな年が良い年にと手を合わせ。時代は変わっても、そんな若者たちのすがたに日本の営みは何ら変わらずあって、少し心が温かくなりました。
変わらずしめ縄を飾り、松をいけ、鏡餅をお供えし、年神さまをお迎えする。おせちは神様と共に海の幸山の幸を有り難く頂いて。
そんな営みが心身を知らずに清らかにしてくれて。
そんな清らかな年の始めに、昨年に想いを馳せ、今年を思い。過ごしていました。
心に宿った思いを大切に温め育てていくことを念じ。
心に写ったその姿。共に龍のように登っていけたら幸いと。
日の出
あけましておめでとうございます🌅🗻
楽しい一年となりますように
今年もどうぞよろしくお願いいたします
タイムスリップ
今年はとても大切なことを考えさせられた一年でした
まるでタイムスリップしたような。
もう一度ちゃんと考えなさい。と引き戻されたのかも。
昔とは経験も状況も全く違っていて。
でも、昔心配したことは何ら変わっていなくて。
今度こそ間違わないようにと強くそう思えて。
妄想かもしれません。見えた道も独りよがりかもしれません。
でも今の自分は明らかに変わっていて。それだけでもこのタイムスリップに深く感謝を。
このありがたい導きをより良いこととなりますように。
二度同じ過ちは繰り返さぬよう、しっかりと歩んでいこうと。とてもそうおもえるのです。
様々な出来事、身に心にやってきてくれたこと。一生の宝と。有り難く有り難くとこれからも精進精進。
善悪
善と悪。
やはりあると思います。遥か遥か崇高な世界にはそれはそれはないことだとおもいますが。善と悪のそもそもの基準などというものはないのであって。
でも、凡人には必要なんですね。沢山の人がチームワークでプレーするのが人の特に日本の営みですから。でも、それを確かに美しいと思う人があればむしずがはしる人もいるでしょう。
だから様々な戒律やおしえかあるのかなと。仕方ないですよね。
でもね。
悪いことが悪いのではなく、ずっとあれば心身も蝕まれてしまうかも知れませんが、悪いこともそれはその時々に必要だからあるのであって。
また悪があるからこそ善がわかるともいえ。
苦があるからこそ幸せがわかり、より有り難くとおもえるような。
…なんとなくそう思って育ってきました。
そしてこの歳になっても、何となくそう思う。
そして私がもし我を越えれたなら、崇高な善悪というものもどんなものかと見てみたいものだと、何となくそう思うのです。
恐れと畏れ
おしゃべりするのが上手いといわれています。
確かに。毎日の部長訓辞で部員をみつめながらその場その場の想いを伝えてきました。PTAでは実行委員として役員として人前でお話しもし、書道では様々なプレゼンがあり、お稽古では一人一人に納得させる言葉を発せねばなりません。そこここで上手くこなし、高評価を得。
でも上手くしゃべれない人がいます。3人。
いっぱいいっぱい溢れんばかりの思いや気付きや…お話ししたいことがいっぱいあってお会いするのだけれど。
会えばそれで十分になって。私の話を聞いていてもらうのが、申し訳なくって、その場が素晴らしいものになってくれたらそれで良いと思ってしまう。
どこか畏れがあるのかも知れません