日記
光明皇后
光明皇后の楽毅論を臨書する
臨書しながらふと思う
王羲之の書を光明皇后が臨書されたものが光明皇后楽毅論。王羲之の楽毅論は豊かな線で穏やかなのですが。それを臨書した光明皇后の書は強く厳しく、その筆勢になんと男っぽい人だと思ったのだけれど。
その生きざまをほんの少しだけど知って、そして深く思いを込めて臨書してみたら。そのか細い線のなんともたおやかさが心にしみて。
強くあらねばとつとめてきたひとなのだと。ふとそう思いその人がらに心に思いを馳せる。
阿修羅像にこもった一母の思い、福祉への尽力、国母として、藤原不比等の娘として
どれだけのものを背負って生きてこられたのか。
書も臨書を欠かさず仏門にも修行に励まれ。何事も土台がしっかりとしておらねば成り立たずということを身を持って表してくれて。
その人となりの芯が軸がしっかりと育ち備わっていかれたからこそ、皆衆生や誰しもに円融無碍と寄り添われ、大慈悲の人であったとの逸話も何千年も語り継がれる人となられたのだとそう思う。
人としての礎と鍛練、国母としての責任と愛情。今の世に同じくの激動の時代を人に寄り添いまとめあげて。
そんな憧れは遥かとおく
少しでもそばに行きたいと思い。
そして最後は己のための仏道に安住されたのだと思うとなんだか心が優しくなるのです
思い
見えたのですね
何が見えましたか
なんとなくそう思う
満面の笑み
ある出会いの日に
その事を喜んで喜んで両親が満面の笑みで夢にでてきてくれました。
そのときの出会いの姿は輝いていて、この上なく綺麗で、互いに融通無碍と溶け合って。何のてらいもなく。これまでに味わったことがなくもう二度と味わえないような素晴らしいものでした
そんな出会いの心をいつもいつも心に持っていたいものです
また再び満面の笑みででてきてくれますように。心磨いて待ってますね。
命日
今日は父の命日。
20日は母の命日で。二人ともにしっかりと命日のお経をあげさせてもらいました。
七日は母のすぐ上の数え五才でなくなった姉の命日だそうで…,。そんなことは全く知らなかったのだけれど。
なぜか死ぬ間際に、美代子の命日に生まれたからあんたは生まれかわりやと。
もう私が生まれて60年もたつのに、何で今ごろと、それも今までなんで言わなかったんやろと、いまだに不思議に思うのです
もう100回忌を迎えるようなご先祖様が急に身近に感じられて、私の誕生日と共に大切な命日のひとつになり。母の思いがわかるときがいつか来るのかなぁと
そうだ、夢で聞いてみよう。上手く行けばですが😅
そして今も二人揃って満面の笑みで見守ってくれているのかも聞いてみたい
ものづくり
日本のものづくりを牽引してきたトヨタ、パナソニック。
ヨーロッパ車が本物といわれるのであれば、決して日本車が本物ではないことはなくて。と私はそう思うのです。
走るというこだわり使うというこだわりは少ないかもしれないけれど。
そこには、人への慈しみ思いやりがあり。
だから、日本の車や生活製品は心こもった本物の用の美だと思い。その心を忘れつづけなければ美術品となりえるのだとそう思うのです。