日記
人生設計
人生設計はある種夢物語
これまでの人生を省み見ても、良くも悪くも思ってもみなかったことがほとんどで、思った通りになったことはほんの一部のような
浮世で夢の世界を歩むのならば、その歩みの道で苦労困難を共に、そして協力わかり合える仲間のいることが何より大切なことと、そう思うのです
夢を追う繋がりならば、夢が叶わないときは切れてしまい、ましてや人としての本当の繋がりがなければわかり合うことも互いに成長していくこともできないのではと
でも人の繋がりは一生と
そう思うのです
だから本当に融け合える人と巡り合えることが、共に道の先を描きながら進めることが、一生の宝と
そう思うのです
今見えるものをそんな人と共に共有し進んでいけたらと
いつもそう思い願っています
作品
気がつけば
書きためた作品が
長い思いを
語ってる
思慮
生意気だけど
まだまだ至りませんが
長いこと
そして深いこと
そして穏やかなこと
すべてが大切とそう思います
そうして何より長く思慮していただいていたこと、今深く感じて、心のそこから何より嬉しくありがたいと思います
逃げる
逃げたと思われているかもしれない、そう思うことがあります。
その時の思いは自分の役目は終わったということでした。今それは間違いなかったと。次のステージにいざなわれたのだと、そう思います
やるっきゃない
昔
大学の時にマッチのやるっきゃないという歌が流行って
キャプテンの時、気の小さい私がプレッシャーに弱い選手に、やるっきゃない!やよそれしかない!とはっぱかけて。きっと10年間やり続けてきた到達した思いだったのだと。一番自分が自分に言い聞かせてきたことだったのだと今思う。
10年間共にした仲間たちからは、雰囲気つくりにたけて皆を引っ張っていく、また視野も深く、様々なことがあっても苦難を乗りきり、人をまとめ、しっかりした頼りがいのあるキャプテンと評価され、先生がたからも歴代名を残すとも言われたほどだったらしいのですが。その心のうちの葛藤は誰にもみえなかったのでしょうね
ある時、一番自分をさらけ出すことがあり。
心の奥の奥を見られることになりました
その事はその時の自分はいまだにその人の心に残るものになっているのかもしれませんね
様々な経験を積み、学生時代の印象はかわり今は優しいといわれて。
子育ても終えた今。
また書に打ち込むようになり
夢に向かってあゆむ決心をしたら
ふと やるっきゃない
という言葉をその当時の自分をおもいだしました
事情があって、監督にも頼れず、ただひたすら選手とチームのことを考えて、一人で苦悩した日々。その姿を信用してくれた監督は選手と一番近くで一番長く共にいるお前に全面的に任すと私の意見を一番に取り入れてくださいました。
一つ一つのステージに到達してその時に至った思い
途中で投げ出さなかった、なげだせなかった?これまでの歩みは、自信となり。
今またやるっきゃないと、出でよキャプテンの自分、と心に言われているような
子育てのステージで育ててもらった優しさにまたやるっきゃないがとけ込んで。
幼い頃から子宝と思いを受けて懸命に育ててくれたそのしつけと思いは、脈々とさらに力を増してそなわりあふれでて。
これまでの到達点は最後のステージの強い力となってくれて
大きな大きな流れそして大きな大きな力を感じる
最期のときまで
最期の時がみえているようにも思いながら
最期の時にどんな到達点は待っていてくれるのかとさらに深く思う