日記
教え
マザーテレサから教わったもの
亡きご僧侶から掛けていただいた言葉
そして若いころ心苦しくなったときにむさぼりつくように読んだ曽野綾子さんのエッセイ
亡き園長先生の子育てのお言葉
私の生きる力になっている言葉
みな思えば
同じことを教えてくれていて
本当に生きるために人と共にあるために大切なことばと
そして心に残る様々な言霊を頂けたこと
ありがたいことと
まだまだ至らぬ我が身を情けなくも
また今様々と良きご縁に恵まれて
様々と教えもいただき
つとめて参ります
季節
思いつくこと
ふと思いついたこと
見えていなかったことではないかと
覚書にしたためる
整理
昨日押し入れを整理していたら、息子の幼稚園の読書感想文コンクールの原稿が出てくる。今思えば良くやったなぁと思うほどの親子教育の豊かな幼稚園で。
子供にも沢山の学びがありましたが、親にも沢山の課題が与えられ。まさに子を育てるには親が育たなければ、そして子育ては親育てといつも言ってくださり、幼稚園でありながらまさに人を育てるということを実戦されていました
息子3人を幼稚園に入れて、自分一人の時間をもてて、多分心にたまっていたものが爆裂したのでしょうね。
フォトコンテスト、ファミリーレポート、読書感想文、全て入選、総ナメで。毎月冊子に掲載され。それがあったからかどうかはわかりませんがPTA四役にも抜擢され。
でも今出てきたその原稿を、30年前の自分を読み返してみたら。
既に今の自分と全く同じ思いが描かれていて。
読書感想文で選んだ本は「二人のイーダ」「マザーテレサ」こちらは2年連続入選。
輪廻や愛について深く掘り下げて書いていて。当時審査員の先生は大学の教育学部?の先生が担当してくださっていたのですが、かなり身に余る講評を書いてくださっていました。
この本のこと、ここに至ったこと、この紙面では語り尽くせないほど溢れる思いがあるのですが、この紙面では残念ながら語るには足りず。
自分で読み返して見ると、月日が客観的に読ませるのか、感動を覚え涙もし、敬服し。
そう思うと何ら変わっていない、いや退行しているやもとも思え、自分に成長がなかったのかと悲しくもなりますが
でも心根ということも深くかんじて。
もしかしたらこの素養は心根はもう既に三つの時に定まっていたのかもしれません。
三つ子の魂百まで
親も園長先生も事あるごとにおっしゃっておられました
日本の暮らし、日本の文化、日本の心、そういうものを知らず知らずに真面目に吸収してきた祖父母両親に育まれた環境に、今ある自分を鑑みると本当にありがたい幸せなことだったのだと、親にも大きな力にも改めて感謝の気持ちで一杯になる。
もう忘れきっていた原稿用紙
30年ぶりに目の前に現れてくれて
その時の心、またしっかりと思い出させてもらって
そう、晩年を大切に生きていきますね
すべてに
ありがとう
自覚
忙しく日々を過ごしています
忙しいと言うたらアカン。心亡くすと書きます。
と教えていただきました
だから。もう少し頑張ったら、仕事を減らそうゆっくりと過ごそうとどこがで思っていました
ふと。
これも自覚なのでは?と
流されて生きていくから忙しいような気がします。
思えば数年前の方がせっぱ詰まって忙しかった
でも仕事量は今の方が多く。
けじめや自覚。その一瞬をしっかりと生きること。
それができないから忙しい心になるのかとふと思う。
そういうことを言われてたのかな?と。
母が行事事をとても大切にしてくれました
大姑は季節季節にお床を飾って見せてくれました
多分何の理屈もなくただそうしてもらったように、私たちにもしてくれたのだと思います
これも日本人のいきる知恵、素晴らしい暮らしの文化なのだと今そう思い改めて何と素晴らしいと思う
結婚式もお葬式も簡略化され。
流されそうな文化となりつつありながらも。まだ手を合わせ神に誓う儀式は残ってくれていて。簡略化されても本質は自覚できることはまだ保たれていることにも安堵を憶え。
確かに心病むほどご大層な儀式事は簡略化されはぶいていくのも良しと思え。その意味やその心の受ける感覚を自覚できることは残していかなければなぁと。
ふとそう思う朝です