日記

2025-03-22 08:08:00

母は、山猿?のように野山を駆け回って、育ち。

そう、そのお陰か足も早くて陸上部で、県でトップクラスだったと。

環境とは恐ろしいもので

 

大阪生まれの私も生まれた頃から岐阜に行き、大好きな山の暮らしは大阪に帰りたくないと駄々をこねたほど

いつも山は心にあって、山の緑の空気は身体を優しく元気にしてくれて、遠足に行っては山の緑の匂いがするー!とうきうきしていました

育ちとはやはりあるもので

山を見ると安心し畏れも感じ支えてくれる

子宝に恵まれぬ何年もの苦しみのなか、たまたま詣ったお寺は役行者の修行の始まりのお寺でお母様と共に修行に励まれた場所。ここから女が立ち入れぬ大峯の修行に行く役小角を見送られ無事を祈られたと。これも生駒の山にあり。

無事子宝にも恵まれて。

いま、東京に行くおりも、お盆お正月と帰った関ケ原の伊吹山を見ると心が動き、富士山を見ては日本人の血が感じられ。やはり山は私に力を与えてくれると、今またしみじみ思う

 

今、再びの偶然とご縁をいただいて、二つのお山にまた行くことになり。

大切な人も、山に今導かれていると聞き、

 

山の力に身を委ねようと、あらためてそう思う

 

 

 

2025-03-21 20:01:00

ミロ

他会派の展覧会をみて、

 

その後ミロ展を

ミロは圧巻。

好きな絵画だったけれどより深く感じ入る。やはり実際に本物に触れないと本当の感動は起こらない。ポスターやポストカードでお馴染みだったけれど、やはり実際に見るのは全く違って。ミロの生涯も知り、人となりを感じた後の、その肉筆の作品は迫るものがあり。これがミロなのだと。

ヨーロッパ近代美術は日本の影響を受けているというのは、有名すぎる周知のことだけれど。

ミロもしかり。

先日六本木のミッドタウンでエミール・ガレ展を見たのだけれど、やはり日本の影響下にある作品が数多くあり。初期の影響下にある作品と、晩年の作品を見るに、影響とはこういうことかとも感じられ。

でもミロはまたそれとは違い。

書や禅にも傾倒していたことからも日本のミロの内面への影響をも感じられる。

仙厓和尚の書いた作品を元に書かれたものは、ミロ独特の精神性を表していて。

花火の連作はまさに日本の書とも見える

ミロはトランスに入って書くこともあったと。洋画に書の集中まさにトランスから生まれる一瞬の線の美しさはないと思っていたのだけれど。ミロの絵にはそれがあり。手が呼吸すると言ったミロの言葉が響き、書とまさしく同じものを感じる

 

90才まで現役を通したミロの晩年の作品を見るに、

ミロのいうところの精神性とはということも問われているような

ミロの言葉にある、3000年たった人がこの絵を見て何を感じるか、と問いかけ、精神の扉を開いたと語ったミロの心のなかは計り知れない

 

良い展覧会を見させていただけて

沢山の気づきがあり

良い1日

2025-03-21 16:27:00

また

また富士山😆

春の柔らかな

きれい~

2025-03-21 08:09:00

努力

先日、石飛先生とのお話で

なかなか頑張ってるんだねと嬉しい言葉をいただいて

 

いやいや大したことではないのだけれど、水面下でほんの少しばた足をしていた程度で。

でもほんの少しのわずかな会話でそんなばた足も感じてもらえて嬉しいことです

 

見えないところまで感じて見てくださって、その何千何万倍のバタ足をしてこられたから、感じてもらえるのでしょうね。

ありがたい

もっと深くと、ついて参ります

2025-03-21 06:42:00

文字

お稽古終わり。

書友のマンションのゲストルームを取ってくれて、ゆっくり明日帰ります

ほっこりゲストルームでお話して。

 

作品集のことに。

本のことで先生方が言ってくださってたことを聞かせてもらう。青楓さんの書への思いや取り組みかたが、全然違うととても感心されていたと。

うちの生徒さんはお茶のみに来てはるだけなんですー。といつもそういう風に言っていたので、そんな遊んでないでしっかり書に打ち込んでもらいなさい!と言われてたのですが。ちゃんと別の書道に学びを感じてもらえたことも理解してもらえ。と嬉しくもなり。でもだからヘラヘラしてると思われてたんだ…ともわかり💦でもそのイメージも払拭されたようで、よかった

 

そういえば、今日お若いA先生が先輩お姉さま方にお彼岸のことを聞かれて。様々な書く言葉の意味を深く知ることは大切なことだと先生方にとっては当たり前のことをまたわざわざとおっしゃって。

書友からお彼岸のこと聞かれ、六波羅蜜のこともお話させてもらったら、へーと感心されて。えっへん😆といいながら、皆そんなことご存じないのだと、あらためて、実際を知る

 

A先生から、今開催中の展覧会のことをお聞きし。また書道史に残る歴代の有名な方々の作品を見ながら、書に向かう精神?のようなものをお話くださり。打ち込むということを垣間見させてもらい。そんな作品は私の文化としての書道とはまた違う書を感じる。何となく感じていたものを先生は何となくではダメ!と思われてたのでしょうね

私も感心させられました

 

時間を書けて思案しながら書いた、漢字の書は前作を越えれたと評価

思いにふけることがあり何となく乗らない作品は、全て一気にボツ

毎回思うけれど、字に現れるんですよね。様々なことが

恐るべし書道

 

書の精神をより深く

 

私の書が書けますようにと、深くそう思えた貴重な1日を過ごさせていただいたと、感謝