日記
動乱
気候も人も世界情勢も動乱の時代かもしれません
変わっていくもの、なくなっていくものもあるでしょう。その時代が柔軟にすぎていくために。
でも、悠久の歴史、永年の人の営みに流れる脈々としたもの、絶えず芯に根となってきたものは、変わらずあるもので。そんなことが未来への力になってくれるのかと。
彷徨う人が多くなり、それもまた今の時代なのかもしれません。
己れを持つことの大切さ。良い我をと精進精進
あとどれくらい生きられるのか。
どうか良いお導きをと。
語り
SNSは、基本嫌いなのです
書を書く身だからかもしれませんが、肉筆というほどに書には心がこもります
活字は誰が書いても同じで無機質で、何の刺激も五感も使われません。何百字書いても、声で、表情で語ることの一瞬の交わりの理解には比べ物にならなくて。
まして目だけの理解には自分の感情か載せられて、
だからその理解の仕方でその人の人となりやその時の感情が垣間見られることもあるのですが。
でもそれもこちらの感情が入って読み取っているのだから定かではなく…。
活字を通してのコミュニケーションでどれ程自分の思いが伝わっているのでしょう。いや違う、そう理解してたの?と思ったことも幾度かあり。
SNSでやり取りをしていて、互いにわかりあえず真意が全く伝わらず悲しい思いをしたことがありました。もうそんなことは繰り返したくなくて。
今日ゆっくりとYouTubeをみていて本当に心が動き、癒されて、同じ機械の中なのですが、声が表情が見れるというのは全く違って。活字ではなく人…と再確認いたしました。
大きな力に導かれて、大きな流れがやってきて、子供の頃から漠然と思っていた夢が今しっかり見えてきて。
語りたいけれど…。それも仕方ないこと。
ゆっくりと語れるときを願って。
1日
作業しながら、本を読んだり、YouTubeをみたり、久方ぶりに時間に追われずじっくり。
知らないこといっぱい
でも様々なお話に自分も整い、みつめてみつめて。
気付きも知識も…、そして思いもひろがり。
癒される。
たおやか
たおやかな
そのようなものが、本当の芯の強さを持っているとおもうのです。
深い思いを持ってしなやかに寄り添い、全てをしっかりと受け止め、凛としたたたずまいのある。そんな人でありたいと思うのです。
刃を向ける強さなど、持ちたくもなく。そんな心を持つことの悲しみの方が心を痛めてしまいます。
負のこころに満たされた表面だけの強さや争い、そんな社会などにはなってもらいたくないですね。いつも楽しくにこやかに明るく、心の底から優しさと癒しの感じられる、そんな社会になればよいなと思っています
必ずそこからはこの上ない素晴らしいものが生まれてくるから。
だから書を続けてるのかな
学び
少しの教えでわかったようなことを言っては行けませんね。恥ずかしさと反省と。
学びとは何度も何度も繰り返すもの。
先日法然上人の御忌会で一切経を読まれたお話が。書道界においても書の古典の臨書が何よりも大切にされます。
何千年の歴史の間に残された文字は数限りなく、それを日々何度も蹴り返し書き写します。先生方はその度に疑問と気付きがわき出てくると…。それがほんとの学びなのでしょうね。いつ書いても同じ表現しかできない私などはその境地には程遠く。だからこそ繰り返さなければと思っています
一方、狂草と呼ばれる名品があります。奇異を嫌うという書道界のなかで、字のとおり狂ったように…いや狂って書かれた草書です。
懐素のその文字には、奔放な書きぶりのなかに揺るぎない基礎があり、その上での狂ったような破天荒な文字が描き出されているのです
以前東京で拝見する機会があり、少し私も見る力がついてきていたのか、なるほどの筆使いと表現に、破天荒とはこうあるべきだと感動したのを覚えています
そんな全く違う2つの大切なことをあわせ持つようなそんな人になりたいものです