日記
灯り
燃え上がる炎ではないけれど、一歩一歩、少しのあゆみと小さな奇跡が…。灯火のように
大丈夫
大切なもの
本当に何よりも大切というものは、つかみとる、奪い取るようなものではなく、自然の流れのなかにあって、清らかで神聖なものだと、そしてすべてを自然に受け入れられるものだと私は思うのです
歩み
長い年月の間に、心から安らぎ信じられる友に恵まれ囲まれて、本当に幸せな晩年を過ごさせて頂けて。ありがたいことです。
一方で心から信じていた人がそうではなかったと言う経験も若い頃から幾度とあり。もちろんそれなりの理由も考えもあったことなのだとわかってはいるのですが、純粋に一心に注いだ心は傷ついて…それが大きなトラウマになっていて。
だから、初対面であ、この人好い人!と鼻が利く一方で、慎重に人を見る癖がついているのかもしれません。
そんな経験と年月を経て、足が立つまで、死ぬまでお稽古続けるよと、言ってくれる沢山の友に恵まれ、そんな好い人と一緒に過ごせること、本当に幸せです。
何かの形でご恩返しの歩みができたらと、心から思う今日この頃です
我
情けないくらい、我を越えられず深くもなれません。
書の、人としての、そして様々な学びを重ねればそんな日が来るのでしょうか
発熱
締め切り前日夜の11時までお稽古となり。帰ってから自信の作品の最終書き込み。毛氈の上でうたた寝したからでしょうか…。作品提出、お役の仕事をこなして帰宅疲れてバタンキュー。早速に翌日発熱してしまいました。
三人の子供を育てる日々も延々と続くハードスケジュールでしたが、何十年と寝込んだことはなく。気が抜けるということのなかった日々だったのでしょうね
最後の一人がこの春独立して…。母の部分の肩の荷をおろせたからでしょうか?寝込めるようになったのも身体のためによいのかも。
旧友が、りっちゃーん。頑張りすぎたらあかんで~熱でるでー。といつも言ってくれます。確かに。大きな試合があった次の日は必ずと言っていいほど熱を出して寝込んでいました。貴重なお休みでみんなは楽しく遊んでいたのに、私だけ寝込んでて…。
身体とは不思議なものですね。
誰よりも互いのことを理解し数えきれないほどの濃い濃い繋がりを多感な青春期に共に育めた、そんな旧友なればこその思いやりの言葉。いまだにすっと自然に何事にも添うて馴染んでくれて。有難いことです。