日記
おもい
あるかたと初めて交わした会話が、ここはどうや?
でした。初めて尋ねた地はあまりに尊いものを感じて、畏れをなして、私が来るところではありません
と思わず口に出ました。何とも失礼な言葉ととらえられたかと。その言葉を発したすぐにどぎまぎしたのですが。
ほう、と軽く笑われて、様々とお話をしてくださいました。
初めて頂いた言葉は今でも心に刻まれて。
そして今になって、問い続けたその言葉がこのことだったのかと。深く深く理解でき。何と遥か先の私の有りようを、見定めてくださっていたのだと。今心からそう感じる。
心が熱くなって、心震えて。
もうお会いすることは叶わなくなった今、守破離ということを思う。
離には至ることは到底できなくて。言葉はないけれど。いつもいつも見守ってくださっているのだと、初めてお会いした時のように、心に常に問いかけてくださっているように感じて。
今あること今導かれていくことに、その方をその語ってくださった思いを心から心から有り難く思う。
書も心も果てしない方とのご縁を頂けたこと。切れたと思った書の道も尊い道も再び繋げていただいて。離れた長い長い時間の間もただ導かれたようにずっと筆をもち、今ある心のままに絶えず心を手向けてきたことは、知らず知らず高い所から見ていてくださったのだと。呼び戻して頂いた道のさらにこの先へさらに高い思いを馳せてとそう誓う。
書も人もこれから。果てない道をどれ程に全うできるのでしょうか。今ある事に心から感謝。
闇
闇。というと恐ろしいイメージがあります。
平安貴族は魑魅魍魎が、闇に闊歩すると。夜は恐れられていました。
でも本来闇とは神聖で畏れ多いものと。
神が降りられるのは闇のときと。天皇陛下の大切な祈りの儀式は夜を徹して行われ。日本にはまだまだ神秘の世界が脈々と伝えられていて…。
そんな闇のなかで書に向かっているときある特別な感覚が涌き出てくる時間がありました。 鬱の病に蝕まれ人として成り立たなくなったとき、闇のなかでいることの安らぎを心の芯から味わえたことも。
そんな個を越えたような….闇のなかでは全てが素となるからこそ、日常では味わえられないものが感じられるのかもしれません
闇を尊び畏れを抱き、そしてその闇に溶け込むように静かに静かに抱かれることのありがたさを心の底から感じられることが、…この上ない幸せというものかもしれません
YouTube
ホッとしたときにYouTubeを見る。
二日前の投稿で語られていることに、同じ日の日記に語ったことと同じ思いがあって。
なるほどとみいる
がんばろ
仁左衛門さん
仁左衛門さん。大好きでした。若い頃は荒事がやはり好きで勧進帳は良く観に行きました。、染五郎さんにはまりラ・マンチャの男も良く観に行き様々な思い出もあります。仁左衛門さんのダンディーで関西弁ではなされる何ともはんなりとした雰囲気もすてきで。大好きでした。でも曽根崎心中を見ても世話物は何だか良く理解できず…。
今日の仁左衛門さんの由良之助を拝見し。圧巻
演じていても舞うようなたおやかさ、艶やかさ。決めも型もないのだけれど、そこここに美しい姿が自然に表現されて。何とも心地よい美しさが醸し出されて。生きてこられた道のりと舞台と様々と経験苦闘を真摯に繰り返された上のものなのだと。ただただ、ポカンと見いってしまいました。
色っぽくて、誰よりすてきで。これぞ上方歌舞伎の真髄というものをを、見せつけられたような気がいたしました。素晴らしい。
このような舞台を、拝見することができ。
心から感謝。
京都南座
顔見せ初日。団十郎さん勸玄君の襲名口上もあり。
一番前の桟敷席を取って頂いて、何とも贅沢な。花道で助六の型を決める団十郎さんと目線が同じで、堪能させていただきました
口上には勸玄君から仁左衛門さんまで四世代のごあいさつがあり。勸玄君が何とも健気で堂々とされていて、胸が熱くなりました
舞台裏の、奥様方々の決して夫の前には出ず、でも華やかなそして奥を取り仕切るキリリとしたお姿に、その背景にあるものを想像しながらため息が漏れそうに。そうそう少女の頃に歌舞伎にはまり様々と舞台を拝見した頃のことを思いだし、歌舞伎役者の妻に憧れた時期もあったなぁ…と。でも誰でも勤まるものではありませんね。素晴らしい。
満員の南座、この文化も脈々と続いて行くと確信いたしました