日記
思い
…思いのままに。ご存分に
思い
思いというものは…、やはり触発されたものではなく、内なる胎動だと思うのです。
外からの刺激からの触発された思いは欲や業にかられたもののようにおもわれて。
ある聞こえた言葉にも欲が見え…。悲しい思いがいたしましたが。でも生きていくとはそういうことなのかもしれません。
ある時から、自分の内側が渦巻くように動いていって。これまでにない胎動のようなものを感じました。ちょうど出産のあとに感じた我が身が母となっていく瞬間のような。
心の景色が変わりそれまでの心にとどまっていたものがまるで別世界のように感じ。
徳島で博光先生の奥さまに、これからは立派な女流書家としてどんどん進んでいってね、といわれてキョトンとしていたその言葉が今になって心に響き渡り。
新たな自分がやってきて、新たな歩みをいただきました。
そして書家という道のその先にみえた、子供の頃からの本当の夢を心より大切に温めていきたいと思います。その時に夢に見た景色が現実となり、またどんな自分が現れるのでしょう。
書家として大きな流れがやってきたこの時に、内なる大きな変化を起こさせていただけた深いご縁とお導きに…心より感謝。
学び
少しの教えでわかったようなことを言っては行けませんね。恥ずかしさと反省と。
学びとは何度も何度も繰り返すもの。
先日法然上人の御忌会で一切経を読まれたお話が。書道界においても書の古典の臨書が何よりも大切にされます。
何千年の歴史の間に残された文字は数限りなく、それを日々何度も蹴り返し書き写します。先生方はその度に疑問と気付きがわき出てくると…。それがほんとの学びなのでしょうね。いつ書いても同じ表現しかできない私などはその境地には程遠く。だからこそ繰り返さなければと思っています
一方、狂草と呼ばれる名品があります。奇異を嫌うという書道界のなかで、字のとおり狂ったように…いや狂って書かれた草書です。
懐素のその文字には、奔放な書きぶりのなかに揺るぎない基礎があり、その上での狂ったような破天荒な文字が描き出されているのです
以前東京で拝見する機会があり、少し私も見る力がついてきていたのか、なるほどの筆使いと表現に、破天荒とはこうあるべきだと感動したのを覚えています
そんな全く違う2つの大切なことをあわせ持つようなそんな人になりたいものです
SNS
そうなんですね…
写真
携帯の写真を探していたら…
突然9年前の母の写真が出てきて。
生家に言ったときに母のいとこ?と共に撮った写真。私も忘れてました
満面の笑み😊