日記
今
今。素敵な言葉が。
心にしみわたる
ゆるす
ゆるす
ゆるすということしたことないかも。
もちろん、今まで嫌なことされたこともあります。人間関係で病院通うほど鬱になったこともあります。
でも、いつも理解に変わるのです。そうなんや、そうしたくなるよね。と。私も悪かったは。と。
だからゆるすという感覚が芽生えないのです。
そう。思い出しました。
子供の頃から人に嫌なことされたら、ありがとうございますと感謝しなさいと云ってくれていました。ああ、こんなことされたらこんなに嫌な思いをするんやと、お月謝払わんでも教えてくれるありがたい人やと感謝しなさいと。そしてされて嫌なことは決して人にしたらあかん!と。
母が祖母からいつも言われたことを、その都度教えてくれました。その言葉も忘れていたけれど…,知らずに身に着いていたということなのかも知れませんね。
きっと祖母も祖母の母親からそう言われてきたのでしょうね。子供は宝。子宝や。といつも言って育ててくれました。お金なんかあっという間になくなる。せやからお金も大事やけど何より子供をしっかり育てなあかんと。子供が良ければ家も代々つづくと。お国も安泰やと。
まされる宝子にしかめやも
万葉集にも詠まれたこころ。
普遍なものとは揺るがなく。伝わっていくのですね。
理解
近づいてる気がする
何事も 本当に深い思いは様々とお助け頂いて、理解にかわっていくものなのかと。
研究会
スター
打ち合わせのあと、帰り支度の子供たちと遭遇。
お習字見ました―とお声がけ頂き、ちょっとした子供たちのスター😄💕?
大きな筆中くらいの筆、小さい(といっても大きいのですが)筆、使い分けたことがとてもよく子供たちの言葉に出て。子供たちの見方感性に大人の当たり前がいかに気付かないことだらけなのだろうなとふと思う
自由に書かせた自由な線に、こうありたいと思うこと多々。
子供のような線を子供が書けるのは当たり前で、大人になって、そんな線が書けたらと、いつも思う。
子供のようにと、良寛さんに憧れたことも。本当にそんな線が書けるようになるのは、酸いも甘いも噛み分け並みの経験ではないようなことも乗り越え、書も極めて、ある意味えらばれし人なのだろうなと思う。
ほんの少しでもそんな境地に近づけたら
御歳100才、北溟先生の書はまさに今良寛。
素敵
