日記
語り
大切な時々に有難い言葉をいただいてきました
その度に心が温かくなり、勇気がわいて、そして癒されて。
そんな出会いがあり、共に歩めた年月に。
心より感謝。
これからもどうぞよろしくと、心から思う朝。
生きざま
生国魂神社へ。
様々おはなし。
見た目は皆どう思ってるかわからないですが…。
そう。おてんばなのですよ。見る人は見抜いてるのですね。母はもっとさらにおてんばでした
当時から名古屋の舞台に、流行りの遊びにと親も兄弟もはらはらさせて、おまけに親の決めた良い名付けもいたのに関わらず、結婚間近に嫌とだだをこね、破談にし。
たまたま父の生母に見初められたことを良いことに、次ぐべき家も放り出して、大阪の父のところへ嫁いできました。
当時にしてはかなりのおてんば。
そして大阪で母らしくしっかりと自分の生きざまを全うして、最期も母らしく逝きました
それが生きると言うことなのでしょうね
心配しなくて大丈夫。
私もしっかり生きたいように生きていきますね!
氏神さん
今日は生魂さんに
良いことありますように
正しいこと
ふと思い出したことが。
三回もテニス部でキャプテンをしてきたので10年の間の3年間。毎日部長訓辞を練習前と後にしてきました。
皆を一つにさせてグイグイ引っ張って行く。そんなスポーツ界の伝統?かもしれません。
三回もキャプテンをしたお陰で、その時々の疑問や失敗は様々と経験値として身体に染み込んでいたからか、大学のキャプテンの時、皆の目を見てこれじゃあかんと思ったことがありました。
キャプテンの言葉に引っ張られていくことに何の疑問もなく慣れきってしまっているのです。
ある大事な試合の前に、訓辞を輪番制にし、練習のスタートとラストの掛け声も任せました。
そんなことしたキャプテンは今だかつてなく、監督さんにも、驚かれましたが、少し笑ってお前らしいは。と
毎日個性ある訓辞が述べられました。監督さんには大きな試合に向かって一つになれるのか、道に外れないかと心配もされたでしょう。
でも本当の意味で正しいものであれば、惰性でもなく何十人が何も考えず心に身体に染み渡りその言葉の通りに心のそこから素直に動けるのです。そしてその力は数の力を越え。はるか大きくなって。
そんな訓辞は私も年に何回あるかないか。その他日々繰り返される訓辞は誘導くらいのものだったのだと。今になって思います。
たった一回の渾身の自分の経験値から発せられる訓辞は、その人となりと重なって。それをきいている選手達からは今までの大きな反射的に行われるはい!という返事ではなく。オーという心のそこから聞こえる納得の声が自然と涌き出て。
府に堕ちる、納得するとはいかなるものかと。
本当にキャプテンをこえ、人として様々と学ばせていただけました。
この経験はテニスをしてきて戦績やキャプテン実績などと言うものには比べ物にならない、私の大きな宝になっていて。
人というものはすぐには変われるものでなく何十年もかかりそしてまだまだこれからですが、生きざまを変えてくれた大きな経験の一つになっています
音沙汰
私の作品に関する間違いがあり、とても悲しいことがありました
すぐにその事を伝えたのですが、いまだに音沙汰無し
そういうときにその人というものが垣間見られたりするのかもしれません
いや、まだ検討中なのかも
私も感情的に狭量となって今まで積み上げてきた信用と言うものを台無しにしてはなりませんね。
あんたはお人好しすぎる、エエようにされたらあかんよと、よく母が心配してくれていました。…がそれでいいのだと思って生きているようです。そこは母に反発ですね😊
天に吐いた唾は必ず己にかえってくると。皆自分のそれなりの人生しか歩めないのですから。
一度、母に相談したとき、もうあんたは私を越えた。と言ってもらったことがあります。そんなこといわれるとおもってなかったので、ビックリしましたが。
様々な経験値と導いてくれる方とのご縁と言うものは母より多かったかもしれません
ただそれだけ。
私も知ってか知らずか必ず天に逆らい生きてきています。だから少しでもわかるところだけでもよき方へとと気をつけています。
あなたの代々の心の伝承のお陰です。だから両親はご先祖はありがたくいつまでも越えられません。
多分、今も心配してくれてるよね。大丈夫。大丈夫。